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マティス記事のおまけ (作品画像をいくつかと、ちょっとホロスコープのこと)

◎展覧会に行ってきました

一体何年ぶりだろう・・・
記事を書いたら我慢できなくなり、展覧会に行ってきました。
「マティス展」(東京都美術館 2023.4.27〜8.20)です。

マティスがどのようにして、単純化した線と限られた色彩による表現を身につけていったのかがとてもよくわかります。

晩年になればなるほど、線のみ、色のみで伝わる情報量が増えるというか、ピンポイントで伝わるというか…。
とにかく、単純な表現なのにスッと感じられるものがあるのです。


「こどもみたいな絵で誰でも描けそう」なんて言われがちなマティスですが、
自分が表現したい世界を、限られた線や色で伝えられるようになるのは、とても難しいと思います。

展覧会を見て、改めて「晩年の表現は、マティスの修練の賜物だ!」と、思えました。

時系列の展示なので、マティスが居を移したり、時代や個人的な状況変化によっても表現が変わっていくさまも感じられます。


◎作品画像をいくつか撮れました

前回のnoteに、画像を載せられなかったので、いくつか。
※展示作品のいくつかは写真撮影OKでした。うれしい。

まずは、習作と共に

〈《夢》のための習作〉(1935)
《夢》(1935.5)



お次は、見出し画像の全体です。

《マグノリアのある静物》(1941.12)


原田マハさんの『ジヴェルニーの食卓』の「うつくしい墓」にマグノリアの花が出てきます。この絵がモチーフになっているのでしょか。
(この作品はロザリオ礼拝堂のことが出てきます。ぜひ併せて読んでみて下さい)


お次は、チラシにもドンと載っている今回の目玉作品のひとつ

《赤の大きな室内》(1948 春)

ねこいましたね!
前回出てきませんとか言いましたが…!!
てか、下にいるのねこであってますよね!?


自画像
初期の油絵の自画像はこってりしてたのに、後年のこのすっきりさよ。

《麦わら帽子をかぶった自画像》(1945)

線だけでイカす。


つい撮っちゃった作品。

《ラ・フランス》(1939)

なんかかわいい。
これ、ひろしま美術館蔵のようです。


◎最後にホロスコープを少し

マティスの作品は、後年になるほど「みんな」に開かれています。
「みんな」のための絵画制作という印象です。
礼拝堂なんかも、その最もたるものですよね。

でも、なぜ礼拝堂?
「みんな」に開くのに、礼拝堂ではなくてもいいのでは?
それに、キリスト教徒ではなかったといわれるマティスが、なぜ礼拝堂?と疑問だったのですが、ホロスコープのこの部分で少し腑に落ちたような気がします。

(Astro Gold より)

射手座♐️に月があり、水瓶座♒️の金星と優しく手を取り合っています。
射手座♐️は宗教も表します。月がそこにいるので、特定の宗教を信じるというよりは、宗教的な価値観と親和性がある。その中にいるのが心地いいといった感じでしょうか。

金星は愛や喜び、芸術を表します。
水瓶座♒️の金星は、独創的、未来志向なんて言われますが、同時に独創しながらも常に「みんな」を見据えています。

この二つが結びついたとすると、ロザリオ礼拝堂を手掛けたのも納得してしまう部分があるのです。

また、マティスのこの言葉が、そのことをよく表しているのではないかと思われます。

まず第一に、宗教芸術はよい精神衛生を必要とします。私の唯一
つの宗教は創造すべき作品への愛、創造への愛、心からの率直さの
ことです。私はひたすら自分の気持ちを〝底の底まで"表現するつ
もりでこの礼拝堂を制作しました。
(一九五二年 アンドレ・ヴェルデの記録による)

『マティスのロザリオ礼拝堂(巻1)』マティス [作] ; 尾野正晴, 関直子監修・文 より


「底の底まで表現するつもり」ならば、絵画や切り絵の領域でもできます。

でも、水瓶座♒️の金星は、絵画以上に多くの人に普遍届くかたちを求めたのかもしれません。