妹犬が、失明してしまった。🐕 光を失ってしまったこの子が、これからの我が家のいちばん大きな光になると思った。


1月26日、妹犬を連れて、F市の獣医大へ。

これまでずっとお世話になって来た町医者の金子先生の紹介で、脳神経学の最前線にいる専門医に診てもらえることになり、3週間ほど予約待ちして、ようやく迎えた日だった。

ベテランの金子先生はいつでも犬目線に立ってくれる優しいおじいちゃん医師で、普通の病院ならそっけなく5分程度の診察で済まされてしまうような軽微な症状でも、細やかに30分くらいかけて説明してくれる。
レコーディングやライブなど複数の仕事で追われている時期には内心で「冗長だな」と思ってしまう瞬間もあったが、3年前、兄犬の癌治療の末期につくづく感じたのは、金子さんは患者本人だけでなく、それを支える家族のケアまで同時に担ってくださっていたのだなということだった。
金子さんと話せた日の帰り道には、犬の事となるとこれ以上ないほど動揺してしまう妻の顔にも笑みが戻り、私たちは希望と、覚悟を、無理なく同時に抱えることが出来ていた。

なので、いくら有能と言っても大学病院の教授と話がうまく噛み合うのだろうかという不安が、多少あった。
中卒の私以上に中卒で、権威的な匂いがするものに対してことごとく本能的な拒否反応をしめす妻にいたっては、医師どころか大学病院全体に懐疑の眼差しを向けており、車を降りて本館に併設された敷地の柵内にいる動物たちを見た瞬間、「もしかしたら実験動物なのかなあ、嫌だね」と言った。先が思いやられる。事前の指示通りに朝早く起きて遠路を来たが、1時間以上ロビーで放置され、なんとなく焦りが募った。

しかしようやく登場した60歳前後に見えるK先生は、どこか懐かしい顔をしていた。柔和でふわふわしていて、一見すると無力な普通のおっさんだが、瞳には深い奥行きがあって底が知れず、天才肌の演奏者によくあるタイプの顔つきだった。
おっさんの身体に、幼子と野生動物と菩薩像のちょうど中間くらいの深遠さをたたえた眼球がおさまっており、奇妙な吸引力を放っていた。日本屈指のギタリストであるUさんに瓜二つだった。

長年さまざまなアーティストの顔を見て来た私は妻に、「これは間違いないよ」とささやいた。


メモを片手に必死で説明した。
12月8日、出来物を切除して病理検査にかけるごく小規模な手術の後から始まったチック症状、嘔吐、歩行困難、一時はこのまま死んでしまうのではと思うほどぐったりしたこと。よく笑う子だったが、表情変化も乏しくなった。全身麻酔の与える負荷が恐ろしくなり、大晦日に赴いた高度医療センターではMRIに踏み切れなかったこと。やがてチック症状が軽微になった代わりに今度は壁や電柱に衝突するようになったこと。配送業者の呼び鈴に反応して玄関前のガラス戸に激突してしまい、肝を冷やしたこともあった。前方視界が遮られているのではないか。

最悪のケースとして、悪性の脳腫瘍による視神経の圧迫があるのではないか。

K先生にここ40日間の症状の推移を時系列で伝えると「かなり複雑な状況ですね」と言われた。
血液検査から神経系の状態を伺う反射テストまで行った上で、もし全身麻酔に踏み切る場合は、その間にMRI、CT、脳波測定など、麻酔状態でなくては行えない複数の検査をいちどきに済ませてくれるという。身体への負担は軽減されるだろう。

覚悟を決めて、全項目の精密検査をお願いした。
視界不良による挙動のおかしさこそあるが、ここ数日中では妹犬の健康状態が比較的良好に思える今、やるしかない。
この予約日までの長い時間を神経すり減らしながら待ち続けて来た。
明日この子がどうなっているか、わからないのだ。

妹犬に「がんばれよ」と声かけし、診察室を出る。
ドアを閉める瞬間「キューン」と寂しそうな鳴き声が聞こえた。

12年間、あまりにも健康だった妹犬は、病院に預けられるこの状況に慣れていない。頭がよく身体も頑丈だが、内気で臆病。もともとは施設で殺処分寸前になっていた野良犬で、人間に対する恐怖心や警戒心がとてもつよいので、メンタル面の古傷が喚起されてしまうことも心配だ。

めったにないことだと請け負ってくれたが、万が一トラブルが起きてさっきの「がんばれ」が今生の別れになったらどうしよう。もっと気の利いたことが言えたんじゃないだろうか。

後ろ髪を引かれつつ、吠えまくる子犬と不安げな妻を連れて慣れない街を右往左往し、7時間ほど待った。実際以上に長く感じる時間だった。


電話連絡を受け、大学病院に戻った。子犬が大変な勢いで正面入り口の自動ドアの前まで駆け寄って行ったが、開かない。後ろ足で立ち上がって姉犬に呼びかけるように遠吠えしながら引っ掻いたが、開かない。
近づいて見てみると、この子の小さな身体がドア・センサーにオミットされてしまったわけではなく、すでに通常の診療時間を過ぎた表門は、完全に閉ざされていた。裏の通用口から警備員のいるゲートをくぐってロビーに入り、またしばらく待った。

私たちは疲弊しきっていた。
妹犬の謎の体調不良と向き合う神経戦の日々、若き友人、相羽崇巨の急逝、パレスチナでとめどなく続く民族浄化、震災、航空機事故、長く重い40日。
何一つ解決したとは言えないし、完全には取り戻せないことばかりだが、少なくとも医師の所見をようやく聞くことが出来る。

診察室のモニターに並べられたMRIの図像に大きく映った黒点を見た時、真冬にもかかわらず冷えた汗が背中を伝った。

これは?

やはり脳に異常をきたしていたのか。

K先生によると「脳梗塞か血腫と思われる痕跡があった」と。
しかし、基礎疾患の認められない、突発的で軽微なもので、脳炎や脳腫瘍の可能性は低いとのことだった。
胸を撫で下ろす。
これがチック症状や、一時期の深刻な衰弱の原因だったのだろうか。

そして、視力に関しては、ほぼ完全に失われていた。
現状、特定の色調の光線にのみ微弱な反応が認められるが、これは弱視というよりも、失明だという。

失明。

呆然としたが、確かにその兆候は日々の中で積み上げられていた。

妹犬は我が家で最も身体能力の高い子だった。
どんな岩場や悪路もへっちゃらで駆け抜け、海に飛び込んで生きた魚をつかまえてくる。

放り投げたオヤツをキャッチするのも大得意で、いちども外したことがなかったのに、つい先日、1月14日を境に、まったくキャッチ出来なくなってしまっていたのだ。
飛んでくるオヤツを上手く食べられない。
おでこに当たって落ちてゆく、小さなかけら。
反応することさえ出来ない。

昨日まで当たり前のように出来ていたことが、なぜか出来ない。

これはごく小さなことのようにも思えるが、痙攣したり、壁やガラス戸に衝突したりといった目に見えてわかりやすい大きな変化以上に、何かもっと根本的で、致命的な変節を突きつけられたような、不穏な出来事だった。

しかしそんな唐突に、失明することがあるのだろうか?

K先生は「わたしは眼科医ではないので」と前置きしつつ、「網膜変性症」との見立てを聞かせてくれた。
脳へのダメージから来る視覚障害と、現状この子が抱え込んでいる症状の間には差異が多いという。

これは今後、犬の視覚に関する専門医のもとで明らかにしていくしかないが、今回の検査の非常に大きな成果として、「脳に関わる症状」と「視覚の症状」が、互いに連関せず、偶然にも同時期に妹犬の身にふりかかかっていた可能性が高いとの指摘を受けたわけだ。

それにしてもこの2週間、妻は「完全にみえてないんだよ、失明してる」と言い張っていたが、私は部分的な視界不良だと考えていた。深刻になり過ぎないようポジティブに、冷静に、との意味も込めてそう意見して来たつもりだったが、結果的に妻の方が、自分よりも遥かに正確だったわけだ。

大人になり30過ぎてから犬を愛するようになった半端者の私と違って、幼少期から犬や亀しか話し相手がいなかった妻は筋金入りだなと、リスペクトの気持ちを新たにした。

そして妹犬に対して、容易には言い表せない感情が湧いてきた。
突然オヤツ・キャッチが苦手になったり、散歩の道中でいたるところにぶつかってしまうなど周囲も本人も戸惑うしかない状況ではあったが、それでも妹犬は、自宅での日常生活のほとんどを当たり前にこなし、いつもの器から水を飲み、美味しいものの匂いを嗅ぎ当て、自分のベッドでクッションまで使ってくつろぎ、名前を呼べば甘えにくるし、私の車の後部座席にも自力でぴょんと飛び乗る。
海に連れて行けば、以前よりもおぼつかない足取りではあるが、潮風の匂いを追いかけて、大好きな岩場の向こうまで行きたがる。リードを引く力は、相変わらず強い。まだ若犬だったあの頃のように。

妹犬の身に起こった異変と、それがもたらす身体的制約を常に感じてきたが、私自身はなんらかの病の進行による内部的な衰弱の方を案じていて、まさか完全に失明しているというふうには捉えていなかった。
調子悪そうだけど、たぶん半分くらいは見えているよね、そう思わせるだけの自然さを彼女は維持していたからだ。

「えっ……おまえ、何も見えずに全部やってたの……?」

妹犬の計り知れないタフネスと野生の勘に、衝撃を覚えた。

この先どうなるか、彼女の様子を注意深く見ていかなくてはならないが、少なくとも現時点において、私たちが最も恐れていた脳腫瘍との診断は回避できた。
犬たちの脳腫瘍は、ほとんどが悪性で、その場合は即座に余命の話になってしまう。

「脳梗塞、血腫、失明」と、非常に重たい話を立て続けに聞かされたにもかかわらず、私たちはこの40日間でもっとも明るい顔をして家路に着いた。


妹犬はきっと、光を失った困難を克服していく。
家族と一緒に。少しずつ。

そして、昔からの約束通り、32歳まで生き延びて、獣医大の教授たちを驚かせ、ギネスブックに載るだろう。

権威的なものに対して関心が薄い妻と妹犬と子犬は、世界一にまったく興味がない。私もあまり興味はない。

でも、人間の施設で殺されかけて震えていた野犬の子供が、いつかその片隅に掲載されて、得意げな顔でこちらに向けて笑いかけていたら、ちょっと面白いじゃないか。

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