兄犬が、永眠しました。 🐕 彼は僕に、家族をくれた。

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なかなか言葉にすることが出来ずにいましたが、12月15日に、兄犬が永眠しました。

双子座流星群を見た2日後、
ここ1ヶ月ではいちばん暖かく、穏やかに風の凪いだ日でした。
前日までぐったりして食欲不振だった兄犬は、この日とても調子がよくて、軽快な足取りで彼の一番好きなコース、海辺の遊歩道を走りました。

ご飯も残さずに、ぜんぶ食べることが出来ました。

その後、しばらくしてから容体に変化があり、彼は倒れ込んだまま、1時間ほど前を見据えて懸命に戦ったあと、息を引き取りました。
お気に入りのストーブの前でした。

呼吸を止めてしまってからも、かなり長いあいだ、兄犬の身体には、体温が残っていました。

一晩一緒に過ごした後、兄犬の好きだった近所のちいさな海岸の前まで火葬車に来ていただいて、弔いました。
この日も奇跡的なほど穏やかな陽気で、火が入れられてから波打ち際で1時間以上、待機していましたが、寒さを感じることはなく、疲弊し切った僕らを、やわらかい潮騒がくるんでいました。
翌日からは激しい風雨と寒波の到来で天候が大きく崩れていったので、兄犬の想いのようなものを感じずにはいられませんでした。

彼はいつでも晴れ男でした。

血管肉腫で2、3ヶ月とされた余命宣告を大きく覆し、
小さな体に太陽のような熱を抱えて、いつも僕らを笑わせてくれました。

以前から、我が家で起こる笑いの9割は、兄犬が原因によるものでした。
ヘンテコなあくびやおなら、人間のおじさんとしか思えない絶妙な合いの手、豊かなニュアンスに満ちた感情表現の数々。
静かにしていられない子だった。いつでも賑やかで、好奇心にあふれて、この世界に存在するあらゆるものを愛していました。
日々の風景をふいに温めるほとんどのハプニングは彼によるものでした。

兄犬を失って数日、家の中は深い静けさに覆われ、張り詰めた空気で皮膚が切れてしまいそうなほどです。うるさい家だな、録音しづらいなと思っていましたが、騒々しさの原因はすべて兄犬だったようです。同時に彼は、僕にとって最良のリスナーでもありました。ギターを抱えると、いつもすぐそばまで来て、新しい曲が生まれる瞬間を誰よりも早く聴いていてくれました。喪失感が大きく、まだ気持ちが追いつきませんが、ともかく今は家族をケアすることだけを考えています。

どちらかといえば神経質な僕と妻と妹犬を、兄犬が常に和らげてきてくれたことを実感しています。
なんだか野良犬の寄合所、避難所のような我が家でしたが、
兄犬は僕たちの最愛の息子でありながら、この家のリーダー犬でもあったのです。

生前、彼を暖かく見守ってくださった皆さん。
最後まで手を尽くしてくださったH病院の先生がた。
そして妻に感謝しています。
闘病が始まってすぐにホリスティック・ケアの資格を取り、毎日、兄犬の病状の進行に合わせた手作りご飯を作ってくれました。
幼い頃から犬が唯一のともだち…16歳で帰る家を失ってからは高校を中退し、犬と二人きりで自活してきた筋金入りの愛犬家である彼女が、何代目かの愛息子、娘であるこの子たちに出会わせてくれて、犬たちとの不思議な日々を与えてくれた。妻はこれまで見た中でもっとも動物に近い人で、犬や猫やイルカに似て、物事の本質を見抜く目を持ち、世俗的な野心とは無縁の清々しい人でした。大喧嘩して引っ越し、長いこと離れたりもしたけれど、そのたびに犬たちが、僕らを同じ灯りの下に呼び戻してくれました。
それぞれの道で互いに創作を続けながらこれまで戦友のように支え合ってきましたが、昨年、兄犬が余命宣告を受けて以来、より強固に彼女を支えたいという思いがありましたので、7月、兄犬の最後の誕生日に籍を入れました。

いつのまにか僕らは本当の家族になっていました。

捨て犬だったはずの二匹が、帰属を失ってはぐれていた僕たちに家を与え、絆を与えたと思っています。

今はただただ悲しいけれど、
兄犬との幾つかの約束をはたしながら、今後の人生を歩いていきたいと思っています。

君はほんとうに、すごい犬だった。

兄犬、いや、
ベベ、ありがとう。

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noteでの記事は、単なる仕事の範疇を超えた出来事について、非力なりに精一杯書いています。サポートは、問題を深め、新たな創作につなげるため使用させて頂きます。深謝。