妹犬の、兄犬探し

画像1

画像3

兄犬が亡くなってから、
妹犬が、兄犬を探し回るようになった。

看取りの時も、火葬の時も、じっと兄のそばに寄り添っていたので、状況を理解していると思っていたが、死後3日目から、今までにない行動をとるようになった。
1日のうちに何度も外に出たがり、電柱や空き地の草むらなど、兄犬が好んでマーキングしていたポイントを必死で追尾していく。しまいには家の裏の竹藪や側溝まで探索し始めた。

妹犬の意図に初めて気づいた瞬間は、思わず涙ぐんでしまった。
考えてみれば、この子はいつもそうだった。いつもは独りを好んで、あまり輪の中に入ってくることがないけれど、いざとなると誰よりも家族思いな部分を見せる。ドライなようでいて、情の厚い子だ。

以前、妻が救急車で運ばれて入院した時も、兄犬は何事もなかったかのようにオヤツを要求してきたが、妹犬は「探しに行かないの?」と僕に迫った。
そして注意深く風の匂いを嗅ぎ分け、とうとう、病院を突き止めてしまった。
それ以来、退院まで、妹犬に引っ張られながら入院病棟の窓の下まで足を伸ばすのが日課になった。

犬という生き物の、不思議さに驚くばかりだ。
そして、彼女の行動はとても切ないけれど、僕らの支えになってもいる。

妹犬にとって、兄犬はまだ継続している現在進行形の命なのだ。
雨が降り、風が吹くたび、町中から兄犬の痕跡が薄れてゆくことに、彼女は焦りを抱えている。
「ねえ、どうしてじっとしているの」
「探しに行かないの?」

幼いころ保健所で殺されかけていた妹犬の、何年たっても払拭しきれない不安を、究極的にのんきな性格で包み込んできたのが兄犬で、それは兄妹というより、もしかしたら親子関係に近かったかもしれない。身体は大きいのに、いつも兄犬の背後に守られながら、おそるおそる世界を見ていたよな。

画像6

この数日、探しに行くふりをして、車に乗せ、いろいろな場所へ連れ出した。
ふだんは行けない遠くの森へ、公園へ、ショッピングモールへ。嗅いだことのない匂いを嗅がせてあげたかった。新しい匂いを。

画像6

画像4

どこまで行っても兄犬は見つからないだろう。

でもきっと、どこにでも、あいつは居るさ。

まーるい雲、季節外れの花、大きな切り株、手書きの看板、誰かの三輪車、ぬいぐるみ、
どことなくマヌケで愛おしいものは、大抵あいつに似てるよな。

画像5

画像7

兄犬はどこにでもいる。
わけもなく、うれしそうに笑っている。
だから心配しなくていいんだよ。

そんなふうにいつか、この子を納得させられるだろうか。

今夜もまた妹犬のしっぽを追いかけて、夜道を走る。
捜索は多い日で、1日4度に及ぶ。

兄犬は夜でも庭に出たがった(おしっこや野苺やプチトマトが目当てだった)が、妹犬は陽が落ちたら家から一歩も出たがらない子で、にもかかわらず今、彼女は自分の生活様式を変えた。
ドアを抜け、庭を越え、路地のまたその向こうへ。

もう10歳だが体力は衰えず、俊足のまま。握ったリードが張り詰めている。

懐中電灯の先で、兄犬に似た何かが次々に浮かび上がる。

noteでの記事は、単なる仕事の範疇を超えた出来事について、非力なりに精一杯書いています。サポートは、問題を深め、新たな創作につなげるため使用させて頂きます。深謝。