難民のユーモアはどんな風だろう? スタンダップ・コメディが可能にする、もう1つの物語。 重度知的障害の白岩次郎にいざなわれ、新しい笑いを知る


白岩佳子さんから、愛息である次郎くんの誕生会に誘っていただいた。

日頃、表へ出かける用事といえば仕事がほとんど。振り返ってみれば子供時代から、私的な集まりに呼ばれる機会が少なかったため、思いがけない申し出に、静かな喜びがこみあげてきた。
誰が俺に、「誕生会においでよ」と言ってくれた?まったく記憶にない。それ以来、今日に至るまで仕事に人生を賭けてきたが、誕生会、なんという甘美な響きだろうか。

白岩家のちゃぶ台で、嬉しそうな顔をした次郎くんがロウソクの火を吹き消し、バースデイソングを歌い終えた自分はギターを脇に置いて、ささやかなプレゼントを取り出す。
そんな光景を想像していたら思わず目頭が熱くなり、「行きます!」と即答したが、佳子さんからよくよく話を聞いてみると、自宅にぜんじろうさんなどプロ芸人の皆さんを招いて、イベント形式で行う予定だと。

えっ、自宅?

自宅に客入れして、お笑いイベントやろうとしてるの、この人…?

若干の戸惑いはあったが、二人が時おりスタンダップ・コメディにチャレンジしていることがずっと気になっていたので、ちょうど良い機会だ。

僕は出囃子を担当することになった。出囃子の意味はよくわからないが、要するに次郎の登場シーンで歌を歌って盛り上げる係であろう。そういったことであれば、それなりにこなせる自信はある。

白岩佳子さん、次郎くん親子とは、2020年、僕がパンデミックのさなかにオーガナイズしていたリモート配信番組「LIFE HOUSE」のオープンマイク企画で出会った。

シングルマザー歴(当時)26年目だという佳子さんから「IQ18の息子」として紹介された重度知的障害を抱える次郎くんは、大抵の大人からはとうに失われてしまっている嘘の介在しない清らな笑みをたたえ、それと同時に100年も生きてきたかのような老成を滲ませた深遠な瞳でカメラ越しの僕を覗き込み、ずっと昔からの友達を見つけたみたいに、嬉しげな声をあげた。
生活保護を受け、なんとか生活をやりくりしながらも、内在する眩しいエネルギーを隠すことができない二人の魅力に一目惚れした僕は、歌を作ってプレゼントしたのだった。

あれから4年。次郎くんが話すことのできる10個ほどの単語のみで作曲したその歌を出囃子にして、白岩親子のパフォーマンスが始まった。

まずは佳子さん単独による、30年ほど前に離婚した前夫の「子育て不参加」の様子を描写したエピソードは、特に起伏やオチが用意されずたんたんと男性批判のまま進行したので、コメディとしてはけして巧みなものではなかったが、似た状況に置かれている女性の共感を揺さぶるものだったと思う。
アメリカの映画やドラマなどで、輪になって互いの悩みを打ち明け合うグループセラピーのような場面をよく見かけるが、あのような必要に迫られた自己解放のニュアンスを感じた。

「ふだん、思っていることがあっても、それはめったに口に出せない。でもこうしてマイクを持っていると、不思議と自分の思いを口にすることができる」という佳子さんの言葉が印象的で、スタンダップ・コメディというジャンルの間口の広さと、まったく知らずにいた側面を突きつけられたような気がした。

そして次郎くんも加わって、彼の作成したノートに基づくパフォーマンス。「ネタ帳を見せられても、何書いてあるんだかわからないんですよ」と言う佳子さんだが、一見抽象絵画のように見えるスケッチや、次郎くんが放つ10個ほどの単語に基づいて、ごく普通の親子やお笑いコンビには到底なし得ないような深いコミュニケーションが交わされ、丁々発止の掛け合い漫才が生み出されていく様は、奇跡のようにも思えた。

あっというまの十数分。親子がオープニングアクトを無事にやり切った。上手い下手という尺度では測れない、愛おしい手触りに満ちた舞台だった。

その後は、場数を踏んできた芸人さんたちの安定したパフォームが続いた。それぞれに自身のキャラクターを生かしながら社会風刺を織り交ぜつつ的確に笑いを引き起こし、佳子さんのように私的な生々しい語りを動力としてはいなかったが、それでもやはり国内向けの様式であったりマーケットが出来上がっている漫才や落語のようなお笑いジャンルに比べると、ネタに求められている笑いの濃度が自由というのか、極端なことを言えば、笑わせること自体が目的ではなく、一個の人間が日常の中で抱える違和感や悲喜劇を、マイクを通していかに表出し切るか、そんな語り芸を目撃しているような新鮮さがあった。

そしてトリで登場した、ぜんじろうさんのパフォームは、これまで断片的に感じたスタンダップ・コメディの特異性のすべてを含みながら、縦横無尽に姿を変えるものだった。

社会時評、風刺、笑いと涙、そして個人の内側に潜在するもの、自己の痛みや、消化しきれない悲しみ、怒り、捨てられない意地。何もかもをさらけだしながら、全霊で突き進んだ50分間。

テレビを持っていない自分のような人間でも名前と顔は知っているベテランだが、90年代に全国区の人気を博した後は紆余曲折を経られたそうで、芸能界を干され、行き場をなくし、やがてスタンダップ・コメディと出会い、英語を習得しての、けして手厚いもてなしは望めない徒手空拳の海外ツアー単独行、そしてこうした一般家庭のリビングまで、求められればどこにでも赴き、けして手を抜くことなく持てる全てを捧げ尽くすその生き様から放たれる言葉は、いまだにテレビと大手事務所が覇権をにぎる国内メインストリームのお笑いからはなかなか聞こえてこないであろう迫真性に満ちた響きを伴っていた。

思いがけず以前から僕の音楽を聞いて下さっていたとのことで、終演後の歓談の場で、コメディにかける想いなどを聞かせて頂いた。

「スタンダップ・コメディにルールはないんです。権力批判したり、自分自身のことを語ったり、なんでも自由に話してOKだけど、弱い立場にある人への差別表現だけはNG」

以前、配信サイトで本場アメリカのスタンダップ・コメディを少しばかり観てみた際には、強者だけでなく社会的弱者まで笑いのめす白人男性パフォーマーのきわどいブラックジョークが印象的だったので、ぜんじろうさんが座右の銘として繰り返し語るこのルールの根拠が歴史のうちにあるのか、それともぜんじろうさんの胸のうちにだけ存在するのか、素人には即座に判断がつかなかったが、このジャンルへの興味を大いにかき立てられた言葉だった。

「昔はミュージシャンも、まず最初に、事務所どこ?テレビ出てるの?と聞かれていたものが、やがてオリコン何位?何万枚売れてるの?に変化し、今ではちゃんと、どんな音楽やってるの?とその人自身の固有性について問われるようになった。でも、お笑いはまだ、その段階にさえ達していない。事務所どこ?吉本?で止まってしまっている。どんなお笑いやってるの?と聞かれることはない」

たしかにテレビ局やマネジメント事務所が強大な力を誇示していた時代の、芸能界寄りの音楽シーンは国民的スターを生み出して神話化させたが、トレンドの変化やフィジカルメディアの衰退によって旧来の中心軸が瓦解するとともに聴き手の嗜好も分散し、結果的に生み出される音楽や発表形態も多様性を増していった。
お笑いもyoutubeのような場で、新しい形の成功を収めるケースが増えてきているが、なりふりかまわぬ利己主義と数字至上主義はあらゆる文化シーンにおいて、より強まった感もあり、ぜんじろうさんのように自己のキャリアだけでなく、他者にまで目を向け、さまざまな人生の機微を掬い取ろうとするタイプのコメディや音楽が成功を収められるような文化的成熟を仮にこの国が果たせるならば、面白くなるだろうなと思う。それは言うまでもなく苦難の道だろうが。

「南アフリカのお笑いが気になっていて、現地まで見に行こうと思っています。欧米のスタンダップ・コメディのような、言葉を重視するロジックの笑いではなくて、もっと日本のお笑いに近いみたいで」

それはつまり、話者の個を重視し、互いの差異や他者性を際立たせることで笑いに転化してゆくキリスト教圏のコメディとは異なり、「あるあるネタ」のような村落共同体にも似た内輪の言葉、互いがあらかじめ共有していると仮定されたコードに基づいて進行することが多い日本のTVバラエティのような笑いに構造が近いということだろうか。

「いま56歳なんで、本当に動き回れるのは、あと10年だと思ってるんです。独り身なので、どんどん動いていけますから、悔いが残らないようにやりたくて」

日本やアフリカのような、共感の笑いと、欧米のような、差異化の笑い。その両方に価値を見出しながら、50代半ばを過ぎても居直ることをせず、泥臭く必死で自分の歩むべき道を模索しているぜんじろうさんに対して尊敬の念が湧いたし、ほとんど社会学や文化人類学の領域に差し掛かっている、その求道者ぶりがユニークだと思った。僕も南アフリカのコメディに触れてみたい。

お笑いは好きだが、その歴史や文脈までは知らず基本的知識の乏しい自分には、この夜ぜんじろうさんが語って下さったことのすべてをここで正確に紹介し尽くすことは難しいが、彼が独特の歩みから掴み取ってきた「コメディのもうひとつの可能性」は、笑いをただ受動的に観客として消費させるだけでなく、白岩親子をはじめとする我々誰もが参加可能な「開かれたもの」へと更新してゆく契機をはらんでいる。もっと広く共有されるべきだろう。

ぜんじろうさんは情熱的だが腰の低い人で、その場にいた誰に対しても、次郎くんにも、シンギングボウルの美しい演奏を聴かせてくれた高次機能障害のユウキくんにも優しく、どこか懐かしい匂いがする民家で行われた誕生会を心から楽しんでいた。

ブライアン・イーノのアンビエント音楽を思わせる演奏後に、ユウキくんは倒れ込んでしまい、隣室でしばらく休息をとって、次に起き上がった時には、自分がパフォームしたことをすっかり忘れてしまっていた。
本当に素晴らしい演奏だったんだよ、すごくきれいな音だった、ありがとう、と伝えた。
「何か、ちょっとでも食べな」とお母さん。
「うん、がんばる」と答えたユウキくんは不安定な身体をちゃぶ台で支え、白岩家のご友人が来場者皆のために作ってくれた美味しい料理を、ほんとうに頑張って、少しずつ、少しずつ、確実に、咀嚼していった。

君が忘れてしまっても、君の音楽を、ここにいた全員が覚えている。

白岩次郎くん、30歳の誕生会、本当にかけがえのない時間だった。
連休渋滞で往復6時間の道のりとなったが、急な誘いに応じてサポートをくれ、一緒にこの機会を楽しんでくれた河合宏樹と阿南達郎にも礼が言いたい。

最もパーソナルな空間であるはずの自宅を思い切って開放し、交流の場へと変えてしまった佳子さんの想いを、にぎやかだったこの日のうちには聞けず終いだったけれど、これから次郎くんにとって、これまで以上に楽しい日々が待ち受けていることは間違いないだろう。

早くも佳子さんのなかには、次回公演の目標が芽生えているようだった。
ミャンマーで迫害され、難民として日本に逃れて来たが、申請を重ねても冷淡な対応を受けるばかりでまったく居場所を見つけられずにいるロヒンギャの青年と知り合った佳子さんは、スタンダップ・コメディを薦めてみたという。
「ぜひやってみたい!」と喜んでくれたそうで、次の機会にはこの方も、白岩家のステージに出演されるようだ。

なんて素敵な話だろうか。
ロヒンギャのギャグで、腹を抱えて笑ってみたい。そして一緒に怒りたい、泣きたい。心からそう思う。

止まらないパレスチナでの民族浄化。そして短絡的で衝動的な殺人事件の数々。目を疑うようなヘイトクライム。自己顕示欲を満たすための安価な玩具と化した選挙戦。
世界中で相互不信が渦巻いている今、人間に失望しかねないニュースであふれているが、人というものの底知れないつよさに思わず目を見張る、そんな夜もある。

福祉制度の空隙で苦しみ、生きる道を模索して地元九州を離れ、東京にたどり着いた白岩親子が、
難民として遠く遠く故郷を追われ、日本に辿り着いたにもかかわらず門前払いを受け途方に暮れる異邦の青年に向けて、両腕を広げて自宅に招き入れ、スタンダップ・コメディというもうひとつの言葉を提示し、ともに新しい居場所を作ろうとしている。

ふたりぐらしの白岩家が、今後どんどん大きな家になっていきそうだ。

noteでの記事は、単なる仕事の範疇を超えた出来事について、非力なりに精一杯書いています。サポートは、問題を深め、新たな創作につなげるため使用させて頂きます。深謝。