失明した妹犬が、再び泳ぎ始めるまで。


昨年の暮れに失明して以来、もういちど安全に散歩を楽しめるようになるためのトレーニングを重ねてきた妹犬だが、散歩どころか、なんとまた海で泳ぐようになった。

信じがたいことだ。

この子は泳ぎが得意で、海中から生きた魚を捕まえて来てしまう俊敏な犬だったが、急性の網膜変性症によって一夜にして光を失ってからは、普通に歩行するのもやっとだったのだ。
年齢的にもけして若くはない。
最初のうちは、長年のあいだ無意識に行ってきた歩き方の癖が抜けず、慣れ親しんできたはずの散歩道も、思わぬ危険に満ちたワイルドサイドと化してしまった。

それが、3ヶ月ほどを経た頃だろうか。
石段など危険エリアの手前にくると、前足を器用に使って、すり足のような動きを見せるようになった。
人間が、落っことしたメガネを探すときのような仕草だ。
平く伸ばした掌でペタ、ペタ、と音をたてながら地面の形状を確かめ、ゆっくりと進む。
それはまるで、歩き方を覚えたばかりの子犬の仕草のようにも見えた。

この世界に生まれ落ちた、その時点から生き直そうとするかのような姿が健気で愛らしく、言いようのない感情が芽生えたが、
幾多の荒波をくぐり抜け、酸いも甘いも噛み分けてきた12歳ベテラン犬の貫禄と、えも言われぬペーソスを発散させているため、親バカな気持ちをぐっと抑えて眺めれば昭和・無頼派芸人のメガネ探しのようにも見えはしたが、ともかく妹犬は少しずつ、視力を失ったいまの身体で、この奇妙な凹凸にあふれた世界を手探りし、自らをアジャストさせていった。

見えない世界を触診し、脳の内側で、画家のように描き直す。
それは一体どこまで正確な像を結び得るだろう。
もしかすると、この子の心象風景のなかで僕は銀色の奇妙な姿に描きかわり、僕らが住むこの家は、空の上で明減する飛行船の羽を手にしているかもしれない。

神経質で臆病な保護犬だったこの子は、光を失ってから、なんだか大らかになり、世間のあれこれに怯えなくなった。
3年前に他界した兄犬に似てきたようだ。誰より呑気で、前向きで、何の憂いも抱えていなかった彼に。
地震にも、花火にも、バイクや車や男たちにも、もう怯えることはない。
頭の中で、前より少しマシな世界を描いてみたのか?

半分イメージのなかを生きる犬となった妹犬は、視力の喪失によってその半身を仮構のなかへ、ファンタジーのなかへと投げ出されながら、その実一分も変わることがない、過酷な現実を生きているはずだ。

このまま別れが来てしまうのではと思うほどの衰弱を見せた脳梗塞と、ステロイド治療に踏み切るまで止むことがなかったチック症状。
永遠に失われた光。

こうして再び元気に歩く姿を見せてくれるようになった、それだけで十分、満足していたのに。

まさか、この子がまた泳ぎ始めるなんて。

突然のことに、妹犬が波打ち際の先のどこまで向かおうとしているのか解らず、リードを握ったまま、とっさに自分も海中へ入っていく形になった。

万が一、沖へ出てしまい帰って来る方向が解らなくなるようだと大変危険だ。思い切ったことをするものだなと驚いたが、若犬の頃のような見事な犬かきを見せる妹犬を見て、笑ったらよいのか、泣いたらよいのか、僕はただ海水のここちよい冷たさを感じながら立ち尽くしていた。

外海から首都へ向かうすべての人々にとっての航路となっている横須賀の海を、タンカーから釣り船まで大小様々な船舶がカラフルに彩っていたが、その中でいちばん冒険的な航海者がこの子だと思った。それこそ筏のように小さく頼りないけれど。

ずぶ濡れのまま軽自動車に犬たちを乗せ、車内を砂まみれにしながら晴々とした気持ちで海岸の駐車場を出た。
汚れた足でアクセルを踏んだ。後部シートは犬の足跡や抜け毛、引っ掻き傷だらけだ。

昨年43歳で取得した運転免許。近所だからというそれだけの理由でふらっと入った、事件発覚前の中古車屋BMで「人気の軽自動車ですから、綺麗な状態で1年後売りに来てくれたら100万は戻せますよ」と言われ購入した初めての愛車だが、あれ以来、犬たちと一緒に方々へ出掛けては思い出を作ってきた。
このままボロボロになるまで乗り潰して、最後はゴルフボールで何箇所か殴りつけたうえで引き取ってもらおうと思っている。金は要らない。

これから散歩中、いつでも一緒に水中に入れるよう、なんとなく毛嫌いしていたクロックスを買いに行った。

五月。珍しくちょうど良い気候が続いた。
せっかく準備したので、また泳ぐ姿を見せてほしくて、僕の方から先に海中へ踏み込み「おーい」と呼び掛けてみるが、
乾いた砂の上でこちらを眺め、へらへらと笑っている。
今日は浅瀬にすら入るつもりがないみたいだ。

とても正確に僕の方を見ている。
本当に失明しているのか。

もしかして、見えているのでは?
おれをからかっているんじゃないか。
日常のふとした場面で、そんなことを思う。

この子は今でも、誰より正確に、僕を見ている。
もしそれが銀色の像を結んでいるならば、僕はきっと銀色なのだ。

なんだか少し嬉しくなるが、自分はいったい何のためにズボンを濡らして海の中に立っているのか。

ベテラン犬は一筋縄でいかない。

もうすぐ13歳だね。

〜追記〜
5月に書き散らかしたまま仕上げる時間もなく、なんとなく照れ臭くて引っ込めていた文章ですが、今日6月10日で妹犬が無事に13歳を迎えましたので公開することにしました。

noteでの記事は、単なる仕事の範疇を超えた出来事について、非力なりに精一杯書いています。サポートは、問題を深め、新たな創作につなげるため使用させて頂きます。深謝。