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父のこと/命のこと

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2021年、コロナ禍に脳梗塞で逝った父のこと。いくつもの重い決断を迫られた、私たち家族のこと。その後の、日々の暮らしのこと。/父に限らず、命のことをテーマにした内容です
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#脳梗塞

その後のシルバーアウェアネスリボン

私は普段、シルバーのアウェアネスリボンを身につけている。その理由は以前書いたとおり。今でもその思いは変わっていない。 この日仕事を終えた私は、日用品を買うため、職場近くの店に寄った。 メモを見ながら目当ての物をカゴに集め、レジへ並ぶ。ちょっとだけ混んでいて、先頭にいるお客さん1は店員さんにお金を出そうとしている段階。そのあとに続くはずのお客さん2は、カウンターにカゴを置いて、どこかへ行っているもよう。私はその次に並ぶ、お客さん3である。 ほどなくお客さん2が戻ってきた。

店番のおじさんと父と私

職場の備品を買いに、商店街の小さな店を訪れた。 「こんにちはー」 誰もいない店内に声をかける。 商品を物色していると、奥の部屋から店の人がゆっくりと姿を見せた。 いつものように奥様が――と思ったら、この日現れたのは、おぼつかない足取りのおじさん。初めて見る。 「ごめんね、脳梗塞やってから足悪くなって。座らせてもらうね」 会計のとき、おじさんが領収書の綴りを出しながら弱い声で詫びた。 「あ、はい。どうぞどうぞ」 私はそれだけ言って、あとは黙ることにした。おじさんが領収書に、

まだその言葉は、涙が出る

時々地区の班ごとに、道路沿いの草刈りや、ゴミ拾いなどの活動がある。朝6時から始まるそれに、今現在は母が参加。私は家で、掃除や朝食の準備をする。 1時間ほどして、母が帰宅。 「もう終わったの?」 「うん。あとは男だぢで〇〇(近所の施設)の草刈りだ」 〇〇の草刈り―― 去年の春も、それはあった。 そのときは、父が参加した。 たしか、脳梗塞で倒れる2日前のこと。 その数日後、退院することなく逝ってしまった父。同じ班のおじさんたちはそれは驚き、口々に言った。 「何っすや! こ

見習い農耕民族、草刈り機を装備する

この4ヶ月の間に変わったこと。 母は、火が怖いから野焼きはしないと宣言していたが、ご近所さんからコツを教わり、やるようになった。 私も、怖いから使わないと決めていた草刈り機(刈り払い機)を使うようになった。しかも新品。私の専用機。 常々母が「危ないから使わせたくない。あんだはケガしたらただじゃ済まない体なんだからダメだ」と免疫異常体質の私に言い聞かせてきたのに、「店さ見に行って、軽いのあったら使ってみっか?」と言い出したのには驚いた。 それだけ母が、この夏一人で草刈り機を

父の最期に関わる選択と、コロナ禍での葬儀に他県の姉を呼ぶか否かの問題について、誰の気持ちで答えを出したか

今回もまた、前回と同じ理由で有料とさせていただきました。とても個人的なことで、表へ出しっぱなしにすると傷口がヒリヒリと痛みそうなこと。私たち家族にとって、とてもつらく、大切な出来事となったことです。 今回の内容は、父の最期に関わる選択――延命治療についてを問われたときのこと。それから、コロナ患者数が急増中の大都市圏に住む、姉や叔父叔母たちをどうすべきかという問題について。父の危篤時、そして葬儀に、姉たちを呼ぶべきか否か。 何が正解かわからない問題の答えを、私たち家族は、時

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受け入れ難い現実に直面したとき、後悔しないためにしたこと

いつも読んでくださっている皆様へ。 急にこんな高値をつけてごめんなさい。むしろいつも読んでくださってる皆様へは、いつもどおりに読んでいただきたい気持ちもあるのだけど。 でも今回の日記は、大勢の目に触れるところへ晒しっぱなしにはしたくない、私にとってはとても大切な話だと思ったから、こういう設定にしました。 内容は、とてもとても個人的なことです。 父がまだ入院していたときのこと。その間に考えておかなければならない、今後の生活のことについて。意識が戻らない父の介護をどういう形

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