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父のこと/命のこと

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2021年、コロナ禍に脳梗塞で逝った父のこと。いくつもの重い決断を迫られた、私たち家族のこと。その後の、日々の暮らしのこと。/父に限らず、命のことをテーマにした内容です
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#最近の学び

あの結婚生活に「意味がある」としたならば

13年間の結婚生活。あれにはなんの意味があったのだろうかと、折に触れて考える。 ああそうか。 あのコロナ禍で、父を看取り、弔う。 そして母を支えること。 そのための準備期間だったのか。 夜中に病院へ駆けつけることも。 徹夜明けでオヅメガダ(※)に突入することも。 泣き崩れる家族の肩を抱くことも。 私は、初めてではないのだ。 13年間の結婚生活。 あれにはなんの意味があったのか。 そう。あれはきっと、次に来る運命の準備期間だったのだ。 ※オヅメガダ……亡くなってから

父はきっと、プレバトの色鉛筆画をやりたかった

夕食時、『プレバト』のリアル色鉛筆画、三上詩絵先生のお手本を見て、父と母と私は毎回感動していた。色鉛筆画なのに色鉛筆画じゃないみたい、写真みたい、というのが三上先生の作品の特徴であり、魅力。 しばらくして、父の持ち物に色鉛筆の24色セットがあることに気づく。何かに感動したとき、母は単純に褒め称えて終わりだが、私と父はわりと、「やりたい」「修得したい」という方向に意識がいく。 器用で、興味を持ったら何事も極める父は、仕事関係の溶接や重機、大型車の免許などの他に、整体やビーズ

「一日中書いて暮らしたい」はどうやら卒業

前は「一日中書いていたい」と思っていた。「創作だけに没頭して暮らせたらどれだけ幸せだろうか」と。今は――実家で両親と暮らすようになってからだろうか、ちょっと変わった。 家族が真ん中。 家族とすごすこと、家族の一員として家の仕事をすることの方が大切になった。 じゃあ書くことはどうでも良くなったのか? そうではない。「書くことと暮すことは、同列ではない」と思うようになった。書くことは、暮らすことの上に移動した。――上位だということではなくて。例えるなら、小学生のときに書いた