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体の調子を整える

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体調不良を自力でなんとかした話や、病気、入院、ワクチン接種録など、体にまつわる話。
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#難病

三度目の転職は「仕事を愛したい」

私の一番最初の就職先は生協。カタログ制作を専属で5年ほど務めたが、体を壊し、立ち上がることさえままならなくなった。思えばこのとき、その後長く付き合うことになる顕微鏡的多発血管炎を発症したのだろう。 岩手にUターンして、しばし療養。最初の転職先は保育園。保育士の資格は持っていないので、補助として勤め、なんとか無事に契約期間をまっとうすることができた。 保育園勤めは楽しかったが、次の職場は大人相手がいい、とも思った。自分が思っていることを園児たちにもわかるよう変換して話す日々

救急車を呼ぶとき親は意外とあてにならない

呼吸困難と胸の痛みで、救急車を呼んだことがある。37歳のときだ。「なんか呼吸が苦しいな」と思ってから、ものの30分くらいで立ち上がれないほど悪化した。 例えるなら、浸水して天井まであと5cmしかないところで溺れながら呼吸している感じ。 このとき私は、心膜炎というのを起こしていたらしい。つまり、心臓を包む膜が炎症を起こしたということ。恐らく持病が関係しているだろう。 私の持病は顕微鏡的多発血管炎と言って、血栓や壊疽が毛細血管で起こりやすいのが特徴。以前医師から、 「血栓が

難病モードの私にかける言葉は、感情ベースより「淡々と」がいい

私の姉は、病で苦しんでいる人との会話が上手いと思う。あくまで私がそう思ったということで、他の人も同様に思うかはわからないが。 姉自身は、 「私は冷たい人間だと思う。相手の気持ちがわからない。だからこういう接し方しかできない」 と過小評価しているが、難病患者だった私としては、姉の「こういう接し方」がとてもありがたかったのである。 その一方で、一番傷つく言葉を発したのは母だった。   * 何年もの間、私の体を襲い続けた異常現象が難病だとわかったとき、私も両親も、まず病名が