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8/19 人間関係とメンタル強度

ここ何年かの間でようやく気付いたことだけど、多分私はかなり面倒くさい人間なんだろうなと感じることが増えた。

前提として自己肯定感が低く承認欲求に飢えている人間は面倒くさい。 自分で自分を肯定することが出来ないから他人から褒めてもらうことでしか欲求を満たすことが出来ないからだ。

また、他人からの指摘を真に受けやすい傾向もあるのではないかと思う。これも自分の芯を信じ切れてないから簡単に他人の言葉を芯に据えようとしたり受け入れようとする。ただ、そんなことを続けている状態が精神衛生上良い訳がない。どちらも私に見られている点だ。

認めたくないが私は他人に厳しく自分に甘い性分だ。それを許せる性格であったなら良かったが、許すことが出来なかった為時々辛くなる。自分に甘くあることを叱り・反省しながらも改善をする気がない自分にまた嫌気が指して精神をリストカットしてるような状態に陥って行く。他人に肯定を求めるだけならまだしもそれと同時に自分を否定してしまうと更に精神を傷つけることになる。

他人と通話している時に指摘された言動をふと思い出し、動機が激しくなり視界が滲みかけたことがあった。ここ数ヶ月の中で一番精神状態が不安定だった時だったのだと思う。

私は今まで生きてきたなかで人並みには友好関係を築いてきた。ただ、友達と長く関われば関わる程その人の嫌な点が浮き彫りになっていきそれを我慢することが難しくなっていく。3年以上ゲームを一緒にやっていた友達はゲームをプレイしている時の立ち回りが合わないことに加えて度を過ぎた発言を度々私がしていることに耐え切れず関わりを断たれた。今遊んでいる友達も悪い点が前よりいくつもあってこの先関係を続ければ続けるほど私のストレスが溜まっていくような気がしている。

人にはそれぞれ性格がある。自分と他人の思想が一致したとする。ただしそれはラジオの周波数が偶然一致しただけ。違う話をすれば当然周波数はずれノイズが混ざっていってしまう。自分の周波数に合わない思想・言動を不快に思ったり合わないと感じたりするのはその程度のことなんだと思う。そうやって割り切るのが正解な気がするが私はそれが出来ない。他人の物差しで測ったものに左右され周波数を合わせようとしてストレスを貯めていく。人と関わることでストレスがたまる原因になるなら、結局誰とも関わらないことでしか対処法がない無い様な気がする。

誰に対してもストレスを感じず、人を不快にさせる言動を一切しない人間になってみたい。


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