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吉川ロカ ストーリーライブ読解

雑に読解を列挙していきます。

・セットリストの海神について

これは海難事故で両親を失ったロカがライブの二曲目で歌い上げる情景を想像するのが答えそのもの。両親を奪った海。そしておそらく、両親と眺めた思い出の海の二面性。その厳しさとその大きさ。どんな曲なのかどんな歌詞なのかはわからない、『海神』(ワダツミ)というタイトルのしっくりくる感じがね、最高。

・No.1の雑な入り方の良さと響くNo.107

そもそも吉川ロカの人生は時系列順に生じていない。作者であるいしいひさいちの思いつきが起点であり、ロカの幼年期はその起点の後に生まれた。まず「浪々とファドを歌い上げる少女」のイメージありき、そこから枝葉がついたものが吉川ロカのストーリーであり、そのストーリーは正順でなく沸々と湧いて出た順に生まれている。それらを再構成したものがこの作品「吉川ロカストーリーライブ」だ。だからNo.1は後付け感というか二の次感があってよくて、設定盛り込みすぎギャグと雑なオチはちょうど良い感じがする。そしてこれは巧みな入りであり、クライマックスで吉川ロカを改めて描写し直すNo.107の矢継ぎ早にペラペラと喋り倒す飯田と熊谷の台詞が、No.1の実はめっちゃヘビーなのにカラッとペラペラと当事者たちから喋られた設定と響き合い、ああそうか吉川ロカは幼い頃に親を亡くしており、その喪失からくる不安を常に抱え続けていて、それを支えていたのが美乃だったんだなとガツンとくる。なんだろうな、僕はNo.1とNo.107は比較して狙って構成してるように思えました。勝手な読解。


・No.109の読解

これはいしいひさいちの技巧が光るラストなのだと読解している。どのような技巧かというと、まず、いしいひさいちの世界観はそのコミカルさに騙されやすいが実は自身の出生地がベースにあり、ある意味ハードなリアル路線が下敷きにある。また「鬼吉川」のネタ元からしてもインテリ過ぎてギャグになってしまうくらい、リアルの歴史を基盤にしている。そこから描かれる吉川ロカストーリーライブのロカと美乃の関係性は、実はそのキャラクター設定にとどまらず、今は昔の、洋の東西を問わない、歌手とヤクザの関係性を現在から偲んでいるのだと読解している。今やヤクザはシノギもなくなり、あの頃の憧れられた明るいヤクザはみな居なくなってしまった。そのメタ表象としての火事跡としての柴島商会。ヤクザものとは縁を切らないといけない宿命の中でのあのポスターは強く意味を想像させる。柴島商会で凱旋ライブとしてストーリーライブというタイトルのライブをやったのか?繋がりを断った中でもポスターだけでも手に入れていたのか?タバコのポイ捨てや不良の溜まり場になりがちなああいった倉庫は意外とあっけなく小火は起こる。そのボヤが燃え上がっていく様を美乃はどんな顔をして見ていたのか?(美乃は炎をジッと見つめてから少し笑ったのかな、と想像している。己の出自が焼却されればまたロカと笑い合えるのかもしれない、と思って)そういったイメージを想起させる装置にもなる。しかし、描いているものはそのどれでもなくただただそうやってメタ的な意味合いに突き放してフィクションとリアルの間に導き、読者を現実に帰すという、なんだかしっくりくる詩的な幕引きなんすよねー。もうベラベラ語りすぎてよくわかんないですね、ハイ。

一旦休憩。

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