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シンエヴァ徒然草2

投稿しても編集できるやろし、この段落マジでイミフだけど残しとこ、後で消しゃイイやって①を投稿したけど編集し直しができないのか編集し直しの仕方がわからないのかでにんともかんとも。まぁ文章のリハビリです。
(追記:2021/4/29にPCからなら再編集できることがわかったのでちょこちょこ修正してます。)

ハイ。

物語。物語とはなんぞや、と。辞書引きゃ判るやろンなもんって話ですが、僕の中だと辞書的な意味には収まらなかったりするんですよね。辞書的な意味だと、違うラインの。

(だいたいTwitterの感覚くらいの段組みで区切って徒然なるままに記します、と改めて前置き。でないと怪文書が出来上がってしまうので。ハイ。)

で、語りってのは語られてるから語りな訳で、語るって方が上流というか…つまり物語りっては物語るでもある訳で。なので物語るってモノがなんなのかって事になるんですよ。

物語るってモノがなんなのかなんて辞書引きゃ判るやろンなもんって話で、例えば「その背中が物語っていた」とかいう物語るがあるじゃないですか。この場合「ある事実の意味を示すまたは表す」という意味の「物語る」なんですよ。

ある事実の意味を示している、または表しているという事は、示しているか表しているって事なので、言語を用いて話しているとは限らない訳ですよ。話さずして示しているか表している。

だから辞書的な意味での物語が、言語を用いて話とか文学に置き換えられたモノが物語とされているのが僕の中ではしっくりこない。僕の中では辞書的な意味には収まらないというのはそういう事です。

でも今気づいたんですけど

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1. 物語ること。いの一番に物語とは物語ることだってなってますね。物語とは物語ること、それなら物語は話さずして意味を示すことまたは表すことも物語の意味として含んでいるってなりますよね。

何が言いたいかというと、話になっていなくても物語であることもあるんだよっていう。話にして物語ってはいるんだけど、それはケジメであって話じゃない何かに話に収まりきらない何かを託して物語っているんだよ、と。

そこを見出してくれよ、と。僕はシンエヴァを観てそう思うのです。ポカポカ、ホクホク。猫、せせらぎ、緑。瓦礫、山、湖と化した跡地。月光。風光明媚、土の匂い。友。人、仕事。ヒトの造りし物。神の造りし物。躍動。

単語で列挙するとキリがないっすね。
なんつーか、レコーディングの時に声優さんに「歌どりでもイケるでしょ?」と庵野くんが言っていたと思うので、かなり音楽的な側面から物語っているんじゃないかなぁと踏んでいるんすよ。
(追記:シンエヴァキャスト陣の力量があるからこそ可能な歌録り的な音声収録でしたという意味がありきでの「歌録りでもイケるでしょ?」だと追記しておく。これが第一義。僕はよく物事の第一義をすっ飛ばす。)

話の意味よりトーンとか語感とか。シーンにおける耳心地の良さがハマれば、飛躍的な力技の話の筋の整合性を成立もとい補完させられる。だから話だけ追ってると、庵野くんが心血を注いで表現している重要なものを見失う。話はケジメ。言い訳はしていない。
(追記:耳心地の良さがハマればって言い回しは軽薄でいけませんね。反省。)

なんかそんな感じの事を言いたかったのでつらつらと記しました。概ね脳内でねりねりと練っていた内容を出せたと思いますが、やっぱり脳内にあった状態のものと変わりますね。

ではでは。

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