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東京ドームでレッチリを見て、「俺も頑張ろう」って思った話。

レッチリのライブ。ほぼ最後列で見た。東京ドームの階段を登山のように登る。

ヴォーカルのアンソニーは調子が悪かった。僕は気付かなかったけど演奏とのずれが生じて、他の3人が技術で合わせていた曲もあったとか。

でもライブ中、僕は別のことを感じていた。
調子が悪く、そして悪いなりに必死に歌うアンソニーの歌は、とても「伝わってきた」のだ。

きっと必死だったのだと思う。いつも以上に集中して、何かを振り絞っている様子。スクリーンに大写しになった彼の表情は、マラソン選手のようにも感じられた。

激しいラップがあり、メロディアスなバラードもあり、シャウトもあり、それが一曲の中で目まぐるしく移り変わるレッチリのミクスチャーロック。それを自由自在に歌いこなしていた、かつてのアンソニーの歌は、それがハイレベルでありハードであることを感じさせなかった。僕らは、心地よく酔いしれていれば良かったから。

でも、61歳となったアンソニーの苦しげな様子は、彼らがどれほど凄いことを成し遂げてきたのか、そして今それをどれだけ必死に維持しようとしているかを、初めてあらわにしていた。

年を取ることは、あまり喜ばしいことではないけれど、決して悪いことだけでもないな。
まさか、レッチリを見てそんな気持ちになるなんて、馬鹿騒ぎの「母乳」で盛り上がっていた19歳の頃の自分は思いもしなかった。

ドロドロの殴り合いのボクシングを見たあとに、「明日から、俺も頑張ろう」って思うように、レッチリの音楽にふれて「表現、そうだよ表現だよ」みたいな気分になって、文章を書いてみました笑。
(仕事しよう)

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