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上杉鷹山

「自己を修める者にしてはじめて家を治め、家を整える者にしてはじめて国を統治できる」

上杉鷹山は江戸時代中期の米沢藩藩主。

17歳で藩主になったときは、米沢藩は深刻な財政難だった。

20万両の借財(現在通貨価値に換算すると150-200億円)、6000千人の家臣の人件費、天災による不作など誰しも目をそむけたくなる実情だった。

しかし、35歳の引退までの間、絹織物や養蚕、製塩、製紙、製陶など産業を興し、家臣は刀を鍬に持ち替え農地改革し、学び舎を創設し学問を浸透させた。財政は好転し、借財は完済することができた。老中松平定信からその功績が認められ「国政別格」と表彰させるほどであった。

数々の改革の中でとくに、鷹山が重点をおいたのは「大倹約」であった。

鷹山自ら、着衣は木綿、食事は一汁一菜、酒は飲まず冬に甘酒を一椀のみ。畳は破れても替えず、紙を貼り付けるのみ。奥向きの女中は50人から9人へ減らした。財政が豊かになった後も、生涯倹約を実行し続けた。

そういった鷹山の姿に、藩の民は心動かされ、信頼を寄せていたのだ。

「自己を修める者にしてはじめて家を治め、家を整える者にしてはじめて国を統治できる」

上杉鷹山の言葉である。

仕事に励む現在。リモートや在宅ワークなど、働く環境は快適になってきている。しかし家庭を置き去りにしてはいけない。自分の心の拠り所はどこか。しっかり家族を見据えているか。

人の手本となるには、まずは自己を修めるところから。

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