見出し画像

AKIRA 

すごい映画を見た。随分と前から気になっていたが、やっと見た。見終えてから一ヶ月以上立っているが、まだその興奮から抜け出せていない。

想像していた以上の作品だった。

私なりの言葉で、一言でいうと、
「宇宙の紡がれ方の一つの解の提示」と、同時に、
「自分(自分たち)のなかから答えを出せ」、
その2つが主題であった。

宇宙の紡がれ方の一つの解の提示

我々はどこから来て、どこへ行くのか。
その命題が視覚的に感覚的に表現されていた。

宇宙をつくるほどのとてつもないエネルギーはどこから来たのか。本編では序盤から、エネルギーを感じるもの、が度々提示されている。若者、性、バイク、暴力、爆弾、科学や政治、脳…それらには古来からの宇宙のエネルギーが受け継がれている。そうして一つの宇宙が始まって終わっていく。終わった後で、しかし、エネルギーそのものが消失するのではなく、新たな次の宇宙が生まれていく。

宇宙の規模で考えるとそういった言い方になるが、これは生物や無生物その他でも共通のことなのかもしれない。全てのものの間で、エネルギーは紡がれていく。

幼馴染同士という一人と一人、から、国家やイデオロギーなどの概念と概念、までの様々な階層での激しい摩擦が、強大なエネルギーを生み出してゆく。その過程を見るにあたり、エネルギーを扱える者と扱えない者、エネルギーを求める者と求めない者、で切ってみると面白いかもしれない。

エネルギーを求める者は、須く扱えない者、となる。反対に、エネルギーを求めない者は、いざという時にエネルギーを扱える者となる。その分水嶺は、他者に向けられた母性と父性にあるのではないか。すなわち、自分と他者の境界が曖昧である者、線を引き直せる者ほど、相応のエネルギーを適切に扱い、扱えないエネルギーを求めない。そんなことを考えさせられました。


あとで漫画や解説動画なども見ていると、漫画としてエポックメイキングなものらしい。アメリカンニューシネマ+バンドデシネ(メビウス)+漫画。このアメリカン・ニューシネマ、ってのもメビウスも、今回初めて知った。見たい作品が多いなあ。

いつの日か、まともにサブカルを論ずることができるようになれたらいい。めちゃ楽しそう!


「AKIRAはまだ生きているぞ!」

漫画の最後の方のセリフ。これがかなり自分の中で刺さっている。
当時の時代背景をそこまで知らないが、
自分の中に毒をもて、とか、誰もが自分の中に答えをもてる世界、にも通じるセリフだな、と。

大友さんは、日本をもう一度、中から作り直したい、そう思われていたのかなと感じました。アメリカや列強からのイデオロギーや科学に支配されていく日本に、憤りを感じておられたのかもしれません。


過去500年。

古来からの宗教に変わって、科学と資本主義が台頭し、信じるものが移り変わっていきました。未来はもっと良くなる、と、世界の人が信じることで成り立つ世界。ですがそれはいずれも「自分の外側」に答えを求めている姿勢ではないでしょうか。私もこんなことを言いながらやっぱり、外側を頼りにしたくなります。いままで人間はずっとそうだったのだから、それ自体はとても自然なことです。

ですが、そういった自然や動物的本能があることを受け入れた上で、どう生きるべきか考えられることこそ、人間にしかできないことで、人として生きる醍醐味だろう、と思っています。理性的で人間をつぶすでも、人間のまま無垢に生きるのでもなく、その両方をわかりながら、自分で判断していく。そんな人間を目指したい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?