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「仲間づくり」について(更新:2024年5月4日)

志の実現において重要な「仲間づくり」について、今の考えを書きました。


前置き(はっきり言えること)

私は、何を業として実行するか?よりも、その業を行わんとする仲間の気持ちや行動を重視します。
これまで距離や立場は違えど、「経営」というものにずっと関わり続けてきました。あるときは経営者の息子として、あるときはコンサルとして、今は経営メンバー当事者として。その中で、例えばコンサルとしてリストラを提案支援したりなど、必要とあらば行ってきました。
ですがやはり、経済や経営、資本主義や社会の価値観の中で誰かが傷つく。その状況に直面する都度、いたたまれない気持ちになったり、深く傷ついたりしてきました。ひとまずここではそういった性の持ち主である、と宣言しておきます。
青臭いことはわかっていますがやっぱり、もっと違ったあり方を作っていけるんじゃないかなと思っています。長く経営や組織運営に携わる中でどうしても捨てられない気持ちでした。
なので、業として行うこととそれを行う仲間に接する態度を首尾一貫してやっていきます。


仲間づくり、をどう捉えるか?

仲間や同じ会社内との関係も「実現したい社会の一つ」と捉えています。やることとして中も外もない、ほぼ同義のもの、なんです。
よくある話として、「会社や組織の中の人は、お客様に尽くす存在である」という「お客様は神様」説、ありますよね。
言いたいことはわかるし、お客様はとても大切です。「民間ビジネスだから利益が必要ですよね」を盾に、自分も収入を得てきました。そこを誤解をしてはいけないのはわかる気がする。そして、利益を出すことそのものになんの反論もない、むしろ、肯定的な立場です。いろんな良いことの結果であると同時に、それを使ってさらなる良い投資を行えるから、です。

けれども、そのために働くメンバーを蔑ろにすることは結局、実現したい社会から遠のく一つの要因につながりうる。事業と組織は両輪、という前にまずは「人の営み」として切り出したとき、その事業の賛同者=仲間も同じように体現していてほしい。
やりたいことの趣旨から考えて、内側(巻き込む側)のほうがむしろ大切かもしれない(お客様よりも内側を優先するのかとか、そういうことではない)。

だからやっぱり、そこも同時に描き上げていきたい。


仲間=BEが一致する人、BEを共有したい人

どうありたいか=『BE』が一致する人、が仲間。DOは、人それぞれのタイミングがある。今は合わない、ということも起こりうる。DOが合う瞬間だけ同じ会社や組織に属せばいい。会社との距離感は選べるようにする。副業を推奨する。

図で表すと、

仲間と社員

こんな感じ?社員の円は、すなわち「業を同じくする組織」です。一般的な会社をイメージいただければ。
会社は事業をやってると自然とDOが生まれる。BEを一致させるのは、必然性に乏しいので、時に、DOのみで繋がる、っていう状態が生まれる。だけどDOだけで繋がるってなんか寂しいというか、表面的、じゃないですか?DOは同じ会社の中でも毎回変わるので、モノによって共感できるできない、得意不得意、好き嫌いが生まれやすい。BEが共有出来ているからこそ生まれる連帯感ってあると思うんですよね。で、そういう連帯感がないと生み出せない価値ってあるんじゃないかなと。

でも、BEには、必然性がない。資本主義が用意していないからです。むしろ、ただあるだけのものを排除してきたのではないかとすら思う。共同体が家族や友人だけだと、人によっては「セーフティコミュニティがほぼない」状態になる。


だから、デザインしなきゃ、なんですね。

では、そのありたい姿とは?

BE = ありたい姿

3つあります。そのうち順番とかつけよかどうか迷い中。。

①常に10%のほころびや矛盾を愛し続け、ルールを変え続ける。

だからこそ採用に徹底してこだわる。10%は、いてくれるだけでいい、ってことです。これは、BEが一致しているからこそ。とにかくそこは一切妥協しない。


②誰もが自分の中に答えをもつ。

規範や価値観を確立するが、超人間的秩序の存在にその論拠を置かない。

自分で書いてても分かりづらいw
超人間的秩序っていうのはいわゆる神仏のような、人間を超えるもの、のこと。その存在を前提とした規範や価値観をすり合わせる、っていうのは宗教のやることだなと(宗教を否定しているわけではないですよ!)。自分自身は、志にも少し書いたように、誰もが自分の中に答えをもてる世界になればいい、と考えています。

『でもそれって、矛盾してないですか?』

えっとですね。。

なぜその価値観なのか、の統一見解は、会社では用意しません!
それを用意すると先ほどのようなことになるから、なんです。
なぜその価値観が良いと感じるかは、「人それぞれ」がいい。
先ほども書いたように、誰もが自分の中に答えをもてる世界がいいと考えているため、そこは会社の統一見解は不要というか、もってはならない、とすら思っています。むしろ、そこにそれぞれの人生のストーリーを載せて、たまたま交わった線なんだ、と感じられるようなのがいい。


③誰かが経験した喜びや悲しみ、成果や失敗を全員で分け合う。

長い時間をともに過ごすことや、価値観を丁寧に摺合せしていくことが必要なのかもしれない。そのための対話や時間の共有が重要。象徴をつくることもやっていきたい。

これらの3つのBEを前提に、DOに向き合うときのスタンス、も、先に決めておきたい。

DOに向き合うときのスタンス

・自分の芯を持って、余白を一緒に作っていく。

中心の骨太ロジックと余白の確保。先ほどのBEを適用すると、自然とこういいうスタンスになる。

・自分にできること、は、自分で増やし続ける。
 個人の能力向上の努力を惜しまない。
 →読書での学びの共有と実践を装置に組み込む。
 →まず自分がやる。「自分は常に「知らない」」と考え、謙虚に向き合う。

ああそうか、だから、自分の余白、と、会社の余白、を同時に重ね塗っていく、って感じですね。

※そうはいったって、状況によっては難しいこともあるじゃん?
事業フェーズを絶えず説明し、「なぜ今こうしたいのか?」をクリアにし続ける。

※そうはいったって、能力あるじゃん?
組織サイズは人間の能力やスキルに応じて慎重に調整する。自分よりも優秀な人と働く。

BEとDOで整理する方法、めちゃ使いやすいです。石川先生。


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