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システムって何?

自分の志を「ひらく」ために

2021年の抱負は「ひらく」。
「ひらく」の対象は様々だが、その一つが「自分自身」。
自分をさらけ出す。その試みの一つが、志を定めて書く、ことだった。こんな内容だ。

システムがリアルな人間を潰すことのない世界に貢献したい。
たとえどのようなシステムが世界を覆い尽くしても、
「未来は変えられる。何か起こるかもしれない。」
と希望を抱く人がひしめく世の中にしたい。

定めてから、親しい人に口頭でも発信してみる機会も増えてきている。
その中でよく疑問に思われる言葉が、システム、です。

「それ、何?プログラミング?しくみ?IT?制度?何を言いたいのかよくわからない。。」

ということで、改めて、自分の頭を整理するためにも、「システムとは何か?」を書き出してみました。


システム、とは何か?

一言でいうと、半自律的に個に働きかけるもの、です。

システムに「影響を受けないもの」は、この世に存在しない。すべては、何かしらのシステムに影響を受けるものとして存在している。ただあるだけの存在は、この世に存在しない。空気中に漂う原子一粒ですら、さまざまなシステムの影響を受けている。何者にも関係していない絶対的独立を保つ存在はない。すべてのものは互いに影響しあっている。

なのでその種類たるや、ありとあらゆるものが含まれる。
物理原則、脳や生命機構のしくみ、法、言語ルール、社会規範、社内規定、業務フロー、人事制度、家事分担、二人の口約束、、、

「システムがリアルな人間を潰す」というのがどういうことなのかを説明するために、ここからは様々なシステムを「脆弱性」と「関与数」で俯瞰してみたい。

2つの軸「脆弱性」と「関与数」

二人の口約束、は、システム、だと捉えている。
ただ、このシステムは、簡単に「破る」ことができるから、非常に「脆弱」である(関係性や約束の種類によっては難しいものもあるけれど、ここではあくまで全体を俯瞰するためなので先に進みますね)。

影響を受ける側が、いつでもそのシステムから逃れることができるかどうか?、つまり、「脆弱性」を、システムを大きく捉えるときの軸としよう。

そしてもう一つの軸が、「関与数」だ。

先の約束は、二人、家事分担は二人〜四人くらい。人事制度〜社内規定は社員数だから、数人〜数億人。法や言語ルールは、国にもよるが、数万〜数億人。物理原則までいくと全人類が影響を受けている。もちろん人間の影響数に比例して、それ以外のものが影響を受ける範囲も広がる。


システムの俯瞰図とやりたいこと

さて、これらの脆弱性と関与数で、図を書いてみる。

システムとは?_その1

マッピングするの楽しい!そうか文章の羅列だとよくわからなかったけれど、マップにすると見えてくるな。めちゃ雑だけどw、細かい言葉の選び方が気になる自分を抑えつつ先に進んでみたい。

さらに、こんな補助線を引くことができそう。

システムとは?_その2

なるほど、関与数ってのは即ち、所属する系の範囲、なのか。
こうなると、さらにこんな線を引きたくなる。

システムとは?_その3

おお、右になるにつれて、関与数が増えている!脆弱性は下がっている!
もちろん村社会や流行など例外はあるけれど。面白いなあ。

え、こうしてみると当たり前じゃないかって?そうですねたいした図ではなかったですね汗、まあでも自分の理解は深まりました。


さて、言葉や位置づけの微調整しながら、最後に自分がどうにかしたいと思っている範囲を書くと、こんな感じです。

システムとは?_その4

①は、それをデザインする側による自覚あるいは無自覚ゆえの問題が多く、②は、どうなっているかを知らないわからないゆえの問題が多い、と考えています。

①は、そのシステムの影響を受ける側、且つ、システムのメリットを享受できていない人の立場に無配慮な場合が多いのではないかと。そうなる構造的な理由もわからないことはないのですが、なんかそれを繰り返したって世の中良くならないんじゃないか、と直観しています。

生かすも殺すも自分自身、という「自己責任論」は自分に向けるべき言葉であって、他人に本気で放つ言葉ではない。かつては自分も自己責任を他人に押し付けていた。今もついつい口をついて出てしまうかもしれない。
ですが、人が作為的に作るシステムは、誰かの利権が誰かの利権を奪う構図ではなく、なるべく公平に作られるべきではないか?全員に平等には難しくても、システムをつくり意思決定する立場の人は、メリットを享受できない人に対する慈悲の心が必要ではないでしょうか?そんなシステムがなくても、人は時に、どうしようもないことに直面するのだから、人が作るもの、変えられるものは丁寧に作りたい。

ちなみに、自分に軸をもつことはとても重要ではあるし、システムに安易に依存する人を増やしてはならない、とも思います。「システムの魔の手を逃れている」人がいるとしたらそれは、「システムの存在を知り、そこに触れながらも、自分にとって従う必要のないシステムを見極めて、意図的にその影響を極小化している」のでしょう。影響を受けないよう、意図的に自分をデザインしている、ということだと思います。

②は、そのままですが、これも、「理解できる能力やポテンシャルがあるのに、理解しない人」が問題なのではないか、その事自体に無自覚あるいは自覚しているが知ろうとしない、恵まれた環境に胡座をかいてしまうこと、が問題じゃないかと直観しています。こちらも、そうなる構造的な理由もわかりますが、、ってとこですね。

自分がやりたいことが少しずつ整理できていて、勝手に自己満足w


なぜ、どうにかしたいのか?

ここまで書いてすごい偽善なヤツっぽい気がしてきたので、最後に、なぜ「システムがリアルな人間を潰すことのない世界に貢献したい」のかを、無邪気さと悟れなさ、という点から、ちゃんとさらしておきたい。

まず無邪気さについて。
何かを知っていけば、自由になれると感じているからです。知能観としては増加的知能観をもっているタイプ。

最初に知り始めると、これまでの自分の思い込みとかに嫌気がさしたり、「信じたくない!」という気持ちから落ち込んだりなどありましたが更に知っていくと、広大な大地が徐々に見えてくる感じで、そうなると一つひとつの事象を多角的に理解できるので、自動的に沸き起こる感情や考えと距離を取れたりしてくる。より大きなものとのつながりを感じて、世の中のうねりを体感できる気になってくる。これはなかなかオモシロイ。まだまだ自分も見えていないこと多いですが、もっともっと知りたいですね(知りすぎからの思い込みには要注意!あと知識は知恵に変えて、アーティスティックにやっていきたい)。


もう一つの悟れなさについて。
素質と生まれ育ちがかなり影響しているのですが、社会やシステムに対する静かな怒りが消えないんですよね。永遠の<自己>の時代(※)に生きる自分にとって、ほんと大人げないのですが、やっぱりずっとこの気持ちを抱えたまま生きるのかもしれない。ぜんぜん自由にはなれてないです泣。抑圧から発するエネルギーも、誰かのためになるかもということで、それが世の中のプラスに働くのかマイナスに働くのかは、わかりません!

罪ならば全部認めるが、罰を受けているヒマはないぜ

THE HIGH-LOWS「罪と罰」


想定より長文になってしまいました、最後まで読んでくださりありがとうございました!

(※)<自己>の時代についてはこちらをご一読ください


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