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プルースト読書会①スワン家のほうへⅠ

「失われた時を求めて」のWEB読書会では光文社古典新訳文庫『失われた時を求めて①第一篇「スワン家のほうへⅠ」』を読んでいます。

第一篇「スワン家のほうへⅠ」はコンブレーが舞台ということで、今回の記事のタイトル画像はイリエ=コンブレーの駅の看板です。
Twitterでも投稿しましたが、コンブレーにあるレオニ叔母の家の中はこんな感じでした。

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部屋の空気には体によい滋味豊かな極上の静けさが満ちていた(光文社古典新訳文庫「スワン家のほうへⅠ」p.127)


第一巻では二つのほうに代表される対比構造が明かされます。メゼグリーズのほうは「近づきがたい地平線のようなもの」でゲルマントのほうは「観念上の終着点」です。美しい平野と川のある風景。ジルベルトとゲルマント公爵夫人。ここで引かれた境界線が後の巻でどう発展していくかも見所のひとつだと思うので、ここに書き残しておきます。

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さて、現在Twitterでは
#プルースト読書会
というハッシュタグを付けて感想等をtweetしてもらっています。
とても素敵な感想が集まっているので、皆さんのtweetを一旦まとめておきたいと思います。

すみきちさん@sumikichisaerin

「失われた時を求めて」の魅力の一つに文章のリズムがあると思います。あの長い長い一文もリズムに乗るとあれよあれよと数頁イッキに読めてしまいます。例えばを参照します。引用は光文社古典新訳文庫 高遠弘美訳 失われた時を求めて第一編「スワン家の方へ1」です。

25頁4行
時計を見るために私は燐寸(マッチ)をする。もうじき午前零時になる。午前零時。それは旅を余儀なくされて、見知らぬホテルで寝なくてはならない病気持ちの男が、発作で目が覚めた拍子に、ドアの下から差し込む一条の光に喜びの声をあげる頃おいである。ああ、よかった。もう朝になった!

このノリの良さ。読むだけで弾む心地よさ。実はこの段階ではどんなストーリーなのか全く分からないのですが、なんだか楽しそうという雰囲気は伝わるかなと思っています。
この一文を読むと、子供の時の思い出が浮かびます。ひどい風邪で子供部屋に寝ついた私。「母さん寝るけどシンドくなったら縦笛を吹きなさい、吹いたら来るから」と言ってくれた母。咳き込んで笛を吹いたら1、2回来てくれた。でもその後は来てくれなかった。あの時は寂しかったな。

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先ほど「失われた時を求めて」の好きな場面を書いていて、好きな場面は自分の思い出が浮かぶ場面だということに気付きました。これからも思い出とセットのツイートになりそうです。
Hanaさん@Hana59379510

名文と言えば志賀直哉というすり込みがあったため、長い文章に戸惑いました。ですが読み進むにつれ快感になってくるのですよね。いろんなイメージが立ち上がってきて陶然となります。プルーストの表現には長い文体は不可欠だったのでしょうね。文体に対する価値観が変わりました。

プルーストを読み始めてから、すっかり忘れていて思い出しもしなかった子供時代の頃をよく夢に見るようになりました。プルーストにとっての紅茶に浸したマドレーヌが、私にとってはこの小説なのかもしれません。
Pokakoさん@pokakopokako

今回の再読では色彩が印象的。植物、空、食べもの。バラ色、モーヴ、アズール、紅殻色。アスパラガスの描写、唸らされてしまう
みなみさん@minamino_star

『失われた時を求めて1』「スワン家のほうへⅠ」
まるで五感を通じあらゆるイメージが押し寄せる…小さな箱はすぐに一杯になる。何から言葉にすればいいのか。ここには愛おしさしかない。過ぎた過去への。今この場所から、振り返り眺める。そうすることによって私自身が見つかる。

これは彼の記憶で、私のではないのに、私自身が経験したことかのようだ。読みながら別の生を生きている。擬似的に。それは私の生へも反射される。実際に。自身の過去とも溶け合い混ざり、どこか奥底で共通する根源的な記憶のようなもの、懐かしい何かが顔を覗かせる。

豊かな自然に囲まれ、恵まれた暮らしをして、こんな輝かしい日々を持つ「私」が少しうらやましくも思い、同時に、私の歩いてきた日々だって暖かくきらめいていたのだと気付く。数々の記憶、思い出を持っていることに。普段殆ど振り返っていないだけで。

過去は増殖する、今この瞬間が次々に過去へと遠ざかっていく、だからこそ過ぎた時を見つめ、探り、そこにある大切な何かと共に今を生きる。過去から流れる川の小舟に揺れる。その水は私の、コンブレーの「私」の、母の父の、レオニ叔母の、スワンの、……、いくつもの美しくほろ苦いそれぞれの生がここにはあり、今や私の中にもある。

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美しい表現があまりにも多すぎて、息が苦しくなるほどです。小さなところでは、「すべてはピアニシモのせいに違いないと思われた」(P.90)が好き。
そしてもちろん、マドレーヌと紅茶からの描写。たった一口から、風船が膨らみ続けるようにどこまでも拡がるイメージ。
あと訳し方も素晴らしいのだと思うのですが、

「窓ガラスに何かが当たったような小さな音がしたかと思うと、上の窓から砂粒をばらまいたように、軽やかに何かがたっぷりと落ちてくる音が聞こえ、やがて広がり、規則正しくリズムを刻み、流れ出し、音を響かせ、音楽を奏で、無数の音となって、あたりを覆った。雨だった。」P.249

心の中で思わず何度も読み上げてしまう、快いリズム感。雨粒の音楽に加え、文章自体も音楽のよう。

ルグランダンの気障な台詞も結構好き…。
「あなたの日々の生活の上に、空のひとかけらをいつも」
「魂に必要なものは忘れないように」
Карандашさん@GnVA5OD2fUZHfOm

物語の起伏に魅せられるというよりも、ひとつ一つの細やかな文章が、鮮やかに心の内の記憶や感情を喚起する。
山査子の描写がとても好き。

「山査子は、限りなくふんだんに同じ魅力を私に差し出している。だが、百回繰り返して演奏しても、曲の秘密にそれ以上近づけない音楽にも似て、私はどうしても、その魅力の奥に入り込むことができない。私は一瞬、山査子から気をそらすことにした。次にもっと力を溜めて近づくためだ」

この山査子の描写から、薔薇色の山査子との遭遇、ジルベルトとの出会いがひとつの世界として、私の心の中に居場所を作ってゆく。
isarさん@Isar_MunichLife

「プルーストと過ごす夏」の中でクリステヴァが冒頭で挙げ、みなみさん@minamino_starもツイートされていた、ルグランダン氏が幼い「私」へ掛ける言葉が、今たいせつに思える。

「どうかあなたの日々の生活の上に、空のひとかけらをいつも持っているようになさいよ、坊ちゃん。」

ちなみにクリステヴァはこう続けます。

...暴力的な現実から距離をとって身を守るよう忠告するのです。ル氏が言わんとしているのは、常に想像界への扉を開いたままにしておきなさいということです。

isarさんの書いてくれた通り、今ぼくたちは暴力的な現実に晒されています。ぼくの念頭にあったのは収容所の中でプルーストについて語ったジョゼフ・チャプスキでした。
こんな時だからこそプルーストについて語り合いたいと思っています。
当記事には転載していませんが、感想tweetに翻訳者である高遠先生もリツイートしてくださったりリプライでコメントをくださったりしています。また、それぞれのtweetを元に参加者の方々でTwitter上でコミュニケーションも行われています。
ぼく自身どれだけ救われているかわかりません。
皆様には本当に感謝しています。

プルースト読書会はまだ始まったばかりです。これから長い旅路になることでしょう。新訳プルーストのファンの方、また、これから読んでみようという方がいましたら、どうぞいつでも参加してください。

そして、参加者の方も、今は特に生活が大変なときだと思いますので、無理せず気楽に参加してください。小説は義務感で読むものではないので、せっかくこういう機会を作るからにはプルーストをより楽しめるようなものにしていきたいと思っています。

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