(231012b) 自然はわけへだて無く、人間はエコヒイキ・差別する。

以前の記事で、会社員という概念が、金の仕組みを歪めたのでは?と
書いた。

コンピュータのプログラムのモデルで、
「サーバ・クライアント モデル」というモノがある。
直訳してもほぼ意味が判ると思うが、
「奉仕者と依頼者(命令者)のモデル」というワケだ。
極端だが判りやすい言葉にすれば、
「主人と奴隷のモデル」というワケだ。

会社員にしろ、公務員にしろ、暴力団などにしろ、
誰かの命令を聞き入れないと、生活して行けない。

しかし、縄文時代など原始の時代?においては、
どうイメージできるだろうか?

人間は基本的に、食事し排泄し子を産み等して、生きるのが基本であり、
他人の命令(それも意に沿わぬ命令)を聞き入れていたら、
そんな事ばかりしていたら、気が狂ってしまう。と思う。

ADHDなど、ある意味正常で、ある意味狂っている、彼らの方が、
マトモかも知れない。

自然は、食物などを取る者(人だろうと虫だろうと動物だろうと)を、
わけへだてしない。
しかし、
雇い主(会社員に於ける主人に当たる存在)は、
エコヒイキし、気に食わなければイヤガラセもし、
ヒドイ時は、食事すら与えない。

店と客の概念も、サーバクライアントモデルの概念では、どうなるか?
金と商品の取り引きだが、エコヒイキなどの余地がある。
つまり、(自然の様に)わけへだてなくでは無い。

また、SNSのフォロー先、フォロアー、も、
自分だけにとって都合の良い?、つまり、役に立つか立たぬかで、
フォローはあっさり外されてしまう。
つまり、わけへだてなく与える。というワケではない。
これでは、息が詰まってしまう。

それなりの妥当な条件さえ満たせば、その後は、わけへだてなく与えるモノ
では無い。

これじゃあ、食っても行けないし、息も詰まる。

「主人ー奴隷」 or 「奴隷ー主人」 のどちらでも、
エコヒイキはされてしまうモノだ。
だから、(会社員など)人のつながりで、
(食などの生活必需品)当人にとって命にかかわるモノ、は、
やり取りすべきでは無い。と思う。

それ(食などの生活必需品)は、命にかかわる事なのに、
命にかかわる事がエコヒイキされている。
のが、今の現実。

だから、食などの生活必需品は、「それなりの条件さえ満たせば」、
「無条件に、わけへだてなく、与えられる」べきだと思わないだろうか?

この様な点を、
会社員という概念(サーバクライアントモデル)は、
歪めていた?のでは無いのだろうか?
だから、生活など命にかかわる事が歪み、精神病など気狂いが横行し、
自殺者が極端に多い。
そうではないだろうか?

以上の様な事を、ツラツラと考えていた。

とりあえず、

以上です。