マネー制度がもたらすモノ?(Ver230318a)

マネー(お金)の制度がもたらすモノ。

お金の制度って、0と1しかない。
イエス(金を払って買う・手に入れる)
ノー(金を払わず買わない・手に入らない)
の二択しかない。
人が何かを提供したいという時に、
もっと、その中間の、
金を払わずに、気持ち等で交渉するとか、
金を無償で払って、(寄付)助けるとか、
何か、そのイエス・ノーの二択では表せない中間の選択肢を、
台無しにしていないだろうか?

例えば、歌とか、人生で感じてきた事とか、
物ではない(食料など生活必須品でなく)何か。
人が生きる上で、それなりに必要になる、
心の潤滑剤とでも言える情報などの数々は、
金を(絶対払う)いや(絶対払わない)の二択では、
表せない様な気がする。
そこには、「あなたはこんな考え方だからタダで良いよ」とか
「あなたの場合はちょっとお金をくれないと教えたくない」とか
が、存在しても良いような気がする。

マネー主義は、そんな自然な?人間的な取引を、かえって、
台無しにして、踏み荒らして、メチャクチャにしている様な気がする。

今の制度では、(客などの)相手がどういう状況でも、
情報料にしろ何にしろ、金を取る設定・金を取らない設定を選ばなければ
ならない様に強要されている気がする。

僕ら人間は、相手が(こういう状態ならば)お金やお礼など要らない場合や
相手がああいう状態ならば、それならばちょっとお礼などが欲しい場合など
があると思う。

そういう本来、0と1(イエスとノー)(金を払うか払わない)では、
決められない事情の取引内容でも、
マネー主義だと、金を払うか払わないかに、規定されて、
ワクにハメられて、どっちでも無いのに、どっちかを選べと、
強要されている気がする。

マネー主義でも成り立つものもある事は確かだ。
しかし、人間の気持ち(とでも言えば良いか)は、
0と1(イエスとノー)だけでは、表せない。と思う。
それを0と1でムリヤリ当てはめて、その事によって、
僕達は、自分達の気持ちを台無しにしていないだろうか?

かなりアヤシイと僕は思う。

その他にも、マネー主義は、ピンハネ(税金・消費税の名の下のモノ)にも、かなり便利なものとなっている。

人によっては、(自分の利益どころか害にすら行使される)税金を、
払いたくない場合だってある。
金の余裕の有る無しではない。
金を払うのに、納得があるかどうかという問題だ。

今の日本政府は、戦争を起こす為の様なピンハネを国民に強要している。
こんな戦争など誰も望んでいないのに、政府はあまりの身勝手で、
そんなものを無関係な国民に強要している。

マネー主義。それも極端な状態になっているマネー主義は、
排除されるべきでは無いだろうか?

うまく言えなくなってきたので、
ここら辺で止めます。

読んでくれてありがとう。