(240225a) 感動の正体?(違和感に比べて)得るモノが少ない感動に関して。

感動とは(違和感に比べて)僕にとってあまり役に立った感触が少ない。

違和感とは、自分の中に無いモノなどの、
「何か」を感じた時に感じる感触だと思う。
つまり、何かを(自分が)掴み理解する前兆だと思う。

それに比べて、感動って、あとになって、何か役に立った記憶が無いんだ。
だから、感動に関して、自分なりに探っていた。

例えば、YOASOBI の「祝福」という曲が、爆発的なヒットを飛ばしている。
人は、どういう時に熱狂し、感動するのか?
この曲を聞いた時、僕も感動した。
だから、良いネタ探しだと思って、自分の中を探っていた。

そして、感じた事。
この曲が、「僕を褒めてくれている」と僕は感じている事を検知した。

つまり、こうじゃないだろうか?
あまりの不運や自己否定感など、落ち込んでいる時が多い時に、特に、
そういう時に聞く何かが、自分を肯定していると感じた時に、
「感動」が(当人に)感じられるのかも知れない。

こんな事を言うと、その感動(すなわち自己肯定感)が、
虚偽で虚構では?と思うかも知れない。
ある程度、その心配は的を得ている。
そう、虚構である事もあり得る。ただし、虚構でない事もあり得る。
どっちでも、いいのだ。
感動とは、自己肯定感を感じた時に感じるモノじゃないか?
と思っている。

だから、このルールに従えば、
「感動」を、ムリヤリ造り出す事が出来る。
つまり、虚構でも良いから、その人に自己肯定感を感じさせれば良いのだ。
でも、これは、
バカで踊り易い日本人を、操作し操(あやつ)る時にも使えるのだろう。
だから、
感動をそのまま信じない方が良い。
ダマされて踊らされている事があるからだ。あり得るからだ。

そんな事を考えていた。

だから、感動は、良いとも悪いとも言わないが、
そんな事を僕は感じていた。
その考えが、錯覚だろうと本当だろうと、関係ないと思う。

感動の正体。とは。
自己否定されていた人が、
自己正当化や自己肯定感を獲得した時、感じた時に、
感じるのが、【感動】だと思う。
そんな事を、ふと思う。

とりあえず、

以上です。