(240502a) 創価学会に対する対応を考慮している最中である事。


今まで見てきた中では、創価学会は、エゴの集団である。
それも、そこそこタチが悪いエゴ集団である。
今まで、創価学会の集団ストーカーを体験して、感じた事など。

・自分達さえ良ければよい。
  他の奴ら(創価学会に属さない人間)など、蹴散らし、
  場合に依っては殺してさえ?
  (まあ意に沿わぬ人間を殺した事例(証拠なしの完全犯罪?)もある)
  構わないと、考えているフシがある。

・自分たちこそが正しい。絶対に正しい。と考えているフシがある。
 (もしかしたら、その自惚れとも呼べる状態は、
  もう過去の事かも知れない
  )

・技術的には、CIA、モサドに匹敵するか、
 それ以上の組織かも知れない事。
  例えば、ムーンショット技術を自分達だけで、
  運用している疑いがある事等。
  まあ、彼らが本気になれば?、いや自制心をかなぐり捨てて、
  彼らのやりたい放題になった状態では、
  彼らは(陰に隠れている限り)ほぼ無敵である事。

・処分するには、あまりの多量な人間の数である事。
  創価学会の信者数は、公式でも、日本国民の約1割(10%)に匹敵する程
  大量の人間である事。
  また、事実上の支配している人間の数、影響を強く与える人間の数は、
  10%を越えているかも?とも、僕は判断している。
  つまり、20-30%かも?とも思っている。
  もしこの程度であれば、有効投票率をガンガン下げて、
  組織票だけで、日本の憲法や国会議員を塗り替える程?とも思える。
  だから、到底、あなどれないレベルである。

  例え、彼ら創価学会が完全な悪だと断定しても、
  彼らを処罰する為の刑務所を建設するだけで、
  日本は倒産するでしょう。
  刑務所は絶対的に追い付かないレベルである事。
  まあ、池田大作か誰かが言った、「民衆こそが力である」は、
  相当に鋭く現実的な言葉である事は確かである。
  ただ、彼(池田大作)が、何を広めたかにも依る話ではある。
  だから、今の状態の創価学会がある。
  自分達の行動や信念に迷いがあり、
  今はそれほど凶悪性が抜きん出ていないかも知れない。
  
  

※もし、上手い具合に、彼らを反省させる事が出来たとすると、
 今の日本。病苦や人災や組織的犯罪など、
 あまりに病苦を背負った日本にとって、
 彼らが、真に反省をして、真人間に立ち帰ったならば、
 その影響力は計り知れない事。
  まあ、【完全に反省して貰えないと】、
  全く使い物には成りませんがね…。

良くも悪くも、「民衆こそは力である」である。
これほどの大衆を動かした池田大作は、確かに、ただ者ではない。
それだけは、確かである。

しかし、その動かした大衆をどう突き動かしたか?にも、依る話である。
その点では、池田大作は、大きい人物ではある。
ただし、比喩しうるならば、提婆達多か、妲己か?とも思えなくもない。
彼(大作)は、日本を正しい道に導くほど、
恨みや悪い感情に勝てていた人間では無いとは、僕は思っている。
ただ、バカでは無いし、小さくもない。
これは誰もが舌を巻くであろう。
「しなやかな鋼(はがね)」という批評も伊達(ダテ)では無い。

そういうワケだから、
僕は、創価学会の動きを注視して、僕なりに注視して見ている。
今は、そういう状態。
もちろん、超巨大な組織だし、巨大なだけならば、
バラバラに離反させれば良いという策略もあり得る。
しかし、その手は多分通じないであろう。
しかし、真に反省しない状態であるならば、
絶対的に使いモノにも成らないのも、事実だ。
それは、一歩でも(僕は)譲歩できないだろう。


だから、体の良い?睨み合い?になっている。
まあ、偉そうに(僕の様な)たった一人の人間が言えば、
そうなる。

そんな感じです。

以上です。