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学生記者はファンなのか

以前から気になっていることがある。各大学スポーツ新聞部の学生記者が自身と担当部や選手との関係について時々「ファン」と表現していることがあるのだ。「学生記者は担当部の1番のファンであるべき」と言う人もいる。

学生記者はファンなのか。私は否だと思っている。

そりゃ私だって担当各部に思い入れはある。勝てば嬉しいし、負ければ悔しい。硬式野球部が1部復帰を決めた時は泣き崩れるエースや主将を見て、もらい泣きしかけた。
しかし、試合中の記者席やカメラ席で声を上げて喜んだり、涙を流すことは基本的にない。ファンではないからだ。

我々学生記者は特殊な立場にいる。例えば東都大学野球の試合に行けば記者証とメンバー表をもらえて、カメラ席に入ることができ、試合後は囲み取材に参加することができる。一部に「学生記者お断り」の競技、大会もなくはないものの、多くの競技、大会では概ね新聞記者などと同様の扱いをしてもらえている。また、コマスポの場合は駒大体育会各部が取材や企画に快く協力してくれるし、多忙な著名OBが「コマスポならば」と取材を受けてくれたこともある。

これらは明らかにファンの域を超えている。

しかもそれは自分で掴んだものではなく、先人の努力と多くの人の理解で成り立っているものだ。東都で学生記者がカメラ席に入ることができるのは駒大の太田誠元監督が「大学野球が教育の場なら、学生新聞も教育の一環として入れてもいいのでは」という趣旨の後押しをしてくださったからだと聞いている。

だからこそ学生記者は「自分たちはファンとは違う立場にいる」という自覚を持たなければいけないと思う。もちろん理解している人も多いだろうが、ファン感覚が抜けていない人も見受けられるのが残念だ。

私も駒大入学前は1大学野球ファンだった。神宮球場で各大学の学生記者の姿を目にしていたし、球場に行けない時はコマスポなどのTwitter速報やWEB記事で戦況を知った。

当時、学生でありながらプロの記者と同じようにカメラ席で撮影し、取材できる学生記者が羨ましかった。一方、だからこそ不満を持ったこともある。
コマスポがなんで應援指導部ブルーペガサスを取り上げないのか不思議で仕方がなかったし、各新聞部のWEB記事を見て「試合のポイントは本当にそこなのか?」「俺の方がいい質問できるかも」「もっといろいろな企画をやればいいのに」などと偉そうに思ったこともあった。そして、わずかだが、「ファンかよ」と言いたくなる振る舞いも見た。

2016年に自分がコマスポに入部し、学生記者になった際に思い出したのがその記憶だった。自分の力を見せてやるぞという意気込みと同時に、過去の自分に笑われないようにしなければというプレッシャーのようなものも感じていた。
以来自分はファンではなくなったと思っている。1ファンでは経験できないことをたくさん経験させてもらった。自分なりに特殊な立場を自覚しているつもりだ。

2月は多くの大学新聞部の新体制がスタートする時期である。各大学の部員達には改めて自身の特殊な立場をもう一度自覚してもらえればと思う。そして、その立場を楽しみながら、残りの学生記者生活を精一杯頑張ってほしい。

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