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2009年WBC、イチロー8球の死合

10回表、2アウト1、3塁。ドジャースタジアムの5万4846人の観衆が見守る中、背番号51はバッターボックスに立ち、いつものルーティンを行った後、フーッと大きく息を吐いた。

韓国のマウンドに立つのは林昌勇。サイドスローから160キロ近い球を投げ「蛇直球」との異名を持っていた。前年に東京ヤクルトスワローズと契約を結び、シーズンでは33セーブを挙げるなど燕の守護神に君臨し、この大会でも無失点を続けていた。

2009年3月31日、第2回ワールドクラシックベースボール決勝戦、日本対韓国。伝説となるイチローと林、8球の死合の始まりだった。

1球目、ストレート。ボール。0−1。

林の初球は外に外れ、ボールとなる。

「1球目だけボール来てくれ。そうしたら有利になる。頼む、頼む、ボールでと。1球目だけは振りたくなかった」

そう考えたイチローにとっては理想通りの球だった。

バッターボックスに入る前、イチローはこれまでにない不安を感じていたと後にメディアに語っている。

「敬遠ならどんなに楽だろうと思った。そんな風に思ったことは初めて。この打席で結果を出せなければ今までの僕は全て消される」

天才、自信家と言われた男が、ナーバスになっていた。

この大会、実に5度目となる日韓戦。日本は3ー2と1点リードで9回裏を迎えるも、ダルビッシュ有が打たれ同点。流れは韓国に傾きかけていた。

10回表、先頭打者の6番・内川聖一が右前打を放つ。これを7番・稲葉篤紀がバントで送り、1アウト2塁。ここで8番・岩村明憲がレフト前へ運ぶ。岩村のヒットの際、イチローはベンチで飛び上がった。

「あの時はとにかく打ってくれ、打って返してくれと。レフトのライン寄りだったので、ダグアウトから見えなかったので、楽勝で帰れるんだろうなと思ったら、止めた。1アウト1、3塁。だから帰らなかったとき『くそっ』と言ったんです」

原辰徳監督はこのチャンスで、この試合2安打を放っていた片岡易之(片岡治大)に代えて、代打に川﨑宗則を送る。韓国もこのタイミングでマウンドへコーチを送った。

川﨑は、この第2回WBCで12打席連続無安打と不振にあえいだイチローに常に声をかけ続けていた。侍ジャパンの打撃コーチを務めた篠塚和典は「彼くらいですよ。イチローが打てなくてベンチに帰ってきた時に、励ますじゃないけど、声をかけていたのは」と川﨑の存在をMVPに挙げている。

川﨑への思いはイチローも同じだった。

「監督がそわそわしているんですよね。そこでムネを指名した。川﨑宗則といえばグラウンドでもダグアウトでも、一人で声を張り上げて、盛り上げて、一番頑張ってきた選手。ああ、ここでムネがくるのか。今回、お前が一番頑張ったんだから、全部もっていけと。そんな気持ちで僕は自分の中でムネを送り出していました」

しかし川﨑は林の初球のストレートの前にショートフライに倒れる。2アウト。このチャンスを活かすか、殺すか。すべてはイチローへと託された。

「そこでスイッチをポンッと入れ直した。きたか。ここで打ったらえらいことだなと。打たなかったらもっとえらいことだと。そういう思いがよぎる時、結果はあまりでないですよね。雑念がいろいろと入ってきているわけですから。でもよぎってしまったものは、どうしようもない。これは消すことができないんですよ。僕の脳味噌がこういう流れになっているので、ここは便乗していこう。『さあ、この場面イチロー選手が打席に入りました』と実況を頭で描きながら、打席に入って行った」

イチローは前の打席となる9回表に林からツーベースヒットを放っており、ストレートの軌道は頭にインプットされていた。そして希望通りの初球ボール。「有利になった」。そう思った。

一方の林は一度マウンドを外し、息をついた後、再び18.44メートル先にいるイチローと対峙した。

2球目、ストレート。ストライク。1−1。

韓国のキャッチャー、姜珉鎬は外に構えるも制球は定まらず、148キロの球は内に入る。が、これがストライクとなる。

この投球の際、1塁ランナーの岩村は2塁へと盗塁をする。2アウト2、3塁。

当時解説者からはイチローの敬遠を誘発するとこの盗塁は批判された。しかし、岩村はYouTubeでこの時の言葉に反論している。

「僕が盗塁をすることでいろんな解説者の方からすごい来たんですけど、でも、その人たちには多分わからないと思います。あのときにやっていた人間の空気感でしかわからないんですよ」

「一塁コーチャーの緒方(耕一)さんと『行っていいですか?絶対勝負しますよね』『するよな。いける?』『余裕だと思います』と会話して盗塁した」

岩村は盗塁へ自信があったこと、さらに9回裏にダルビッシュが1点差を追いつかれたことから、2点差をつけることでプレッシャーを感じずにしたかったと話している。

イチローもまた敬遠はないだろうと考えていた。

「(次のバッターの)中島(裕之)も非常に嫌な打者。満塁になるのも嫌だろうし、当然、勝負にくると思っていた」

一方で余計なことをしないでくれとの思いもよぎった。様々な思いが混ざり濃密になる空気の中、集中力を高めていった。

3球目、ファール。1−2。

林の投じたホームベースよりもやや外側に投げられたストレートをイチローはファールする。1-2。

岩村の盗塁ですでに一塁は空いている。なぜ韓国はイチローに対し敬遠ではなく、勝負することを選んだのか。

韓国の金寅植監督は試合後の談話の中で、「フォアボールでもいいからストライクゾーンから外れたボールで勝負しろとサインを送った。捕手には伝わったが、投手までは伝わらなかったようだ」と語った。

韓国ベンチとしては無理をしてイチローと勝負はしないという考えだった。

一方で、ベテランの朴勍完の控えキャッチャーだった姜は、後年テレビ番組に出演した際「金監督の出した両手の人差し指を振るサインが敬遠でもいいという意味であることを知らなかった」と自分のサイン見落としだったと話している。

ただ、どちらも明確な敬遠については語っていない。

2006年第1回WBCでのイチローの「アジア(の国々)には向こう30年、日本にはちょっと手を出せないなという感じで勝ちたい」や同大会準決勝で韓国に敗れた際の「野球人生でもっとも屈辱的な日」といった発言は韓国でも大きく取り上げられ、イチロー憎しの感情は2009年でも渦巻いていた。

韓国ではイチローと伊藤博文と重ねる声や、悪ノリのイチロー暗殺Tシャツまで作られていた。この過剰な国民感情が、イチローから完全に逃げることを躊躇させた理由の一つだった。

韓国はすでに川崎の打席前にマウンドへコーチを送っている。「監督やコーチが1イニングに同一投手のもとへ2度目に行けば、その投手は自動的に試合から退かなければならない」とのルールのため、直接指示をバッテリーに伝えることはできなかった。

マウンドに立つ林はこのファールでカウント有利となったことで、イチローを打ち取れるかもしれないとの感情を抑えることはできなかった。

林の心は決まった。イチローと勝負する。次の一球までの少し間をつくる。球場のあるカルフォニア州は韓国系の多い地域で、「テーハミング」の歓声がこだましていた。

4球目、ファール。1−2。

姜はベースからボール2個分ほど離れた外目を要求するも、林の投げたストレートは真ん中へと入り、イチローはこれをファールする。イチローはヘルメットをかぶり直し、一度屈伸する。

第2回WBC、イチローは大会前から不振に苦しんでいた。

原辰徳監督は当初チームの柱としてイチローを3番に置く構想を練っていたが、練習試合からなかなか調子が上がらない。本人に1番か3番のどちらかいいかと聞くと「それは監督が決めてください」と返ってきた。

「よしっ。おまえさんはマリナーズでも1番を打っている。1番で行こうか」

会話からイチローの気持ちを察した。1番でと告げるとイチローも「ありがとうございます」と小さく頭を下げた。

しかし大会に入ってもイチローの不振は続く。第2ラウンドでは12打席ヒットなし。普段メジャーで対峙するテイクバックの小さいパワー型投手とは違う、テイクバックの大きいアジアの投手の投球でイチローのリズムに狂いが生じていた。

メディアからは不振のイチローを外すべきではとの声も上がった。イチロー自ら、原監督にスタメンから外すことを提言しようと考えたこともあった。ただ原監督の腹はすでに決まっていた。

「仮にイチローを使い続けたことで、ゲームを落としても悔いはない。しかし彼を使わずしてゲームを落としたら俺は悔いる」

指揮官はイチローに侍ジャパンの命運を託していた。自分の構想に固執せず打順を変え1番にしたことで、この大事な場面で打席が回ってきた。

原監督は大きな目で51番を見つめる。

「はいファール」「はい、またファール」

イチローの頭の中ではまだ実況がこだましていた。

5球目、シンカー。ファール。1−2。

あきらかにボール球の、ワンバンするような低めのシンカーをイチローはファールする。

林との対戦前、チームスコアラーを務めた三井康浩はイチローから「どうします?」と配球を聞かれ驚いた。

ほとんどの打者が投手交代ごとに三井にアドバイスを求めてきていたが、イチローだけはこの大会、聞きには来ていなかったからだ。三井も「あれだけの選手だから、こちらも任せておけばいい」と考えていた。

その天才バッターが決勝戦のこの場面でどの球種を狙えばいいか聞いてきた。三井はシチュエーションから「シンカーを狙っていこう」と答えた。

そのシンカーをファールした瞬間、イチローは勝利を確信した。

「ワンバンしそうなボール。あのファールをしたときに『いただきました』という感じになったんです。必ずいい結果が出ると思った。勝負してくれればかなりの確率でヒットは出ると」

「あのボールをファールにできたから、ではない。あの球をヒットにできると思って打ちにいけた。結果的にはファールになったけれど、あのボールをヒットにできる、その感覚を持った自分。そこでこれは何が来てもいけるとなった」

イチローは天才にしか分からない方程式で勝利という答えを導き出した。ずっと頭の中で鳴り響いていた実況は、この瞬間に止まった。

6球目、ファール。1−2。

林の投じた高めのストレートを、イチローは再びファールする。一球のミスが命取りになる真剣勝負。見る者は息をのむのも忘れ、心もキリキリさせた。

普段クローザーを務める林にとっては慣れない2イニング目、そして同一打者との2回目の対戦。イレギュラーは続いたが、ブルペンには林以上に信頼できる投手はいない。韓国はこの大会無失点の林にかけるしかなった。

キャッチャーの姜からボールを受け取った林は、間を取るため一度マウンドを外す。指をなめ、それを手のひらにすりつける。フーッと息を吐くと再びマウンドに上がる。

歓声と応援バルーンを打つ音がスタジアムを包んでいた。

7球目、ボール。2−2。

林の投げた外角ストレートは大きく右へ蛇行し、ボールになる。

日本、そして世界を代表する大打者のイチローの思わぬ不振。コーチ、そして日本のトップバッターたちであっても、なかなか声をかけづらかった。そのイチローを救った一人が亀井善行だった。

2008年の亀井の成績は96試合、打率2割6分8厘、本塁打5本、23打点。準レギュラークラスの成績で、侍選出の際には「侍ジャパンにふさわしくない」「巨人びいきだ」など、ネット上では批判のコメントが相次いだ。

原監督はイチローを絶対的なレギュラーと考えていた。その代わりとなれば出場はおそらく守備固めの時だけ。大会の1か月の間、試合に出られないとなればレギュラーシーズンにも大きく影響するだろう。他チームの主力は選べない。誰も嫌がるイチローの控えとして指揮官が呼んだのが自軍であるジャイアンツの亀井だった。

亀井自身も2021年の引退会見、「今だから言えますけど、選ばれたくはなかった」と笑って語っている。その上で覚悟は決めていた。

「選ばれたからには、選ばれなかった人たちのためにも、試合では貢献できないかも知れないですけど、声出しや雑用で貢献できればと思って行きました」

大会中、亀井はイチローのキャッチボールの相手を務めた。不振にあえぐ中でも誰よりも早くケージに行って打ち、試合中は声を出す天才の姿を見ていた。

「とにかくチームをまとめようとしてくれていた。『あの人が打てば確実に優勝できる』って雰囲気が自然に出来上がっていきました」

イチローが孤独にならないようにと亀井は、内川、片岡など若手選手に声をかけ、ストッキングを長く出すイチロースタイルで練習を始めた。

「カメ(亀井善行)が提案してくれたらしいんですが、泣けてきますよ。いい仲間に恵まれて...。みんなが僕の想いを察してくれていたんですね。その分、心の痛みは増したけど(苦笑)」

後のインタビューで、チームメイトの思いが届いたと語っている。亀井のファインプレーだった。

5万4846人の観衆が、指揮官が、チームメイトが、そしてマウンドの林の視線がイチローへと向けられていた。

「この大会で勝てなかったら、二度と参加しないという覚悟。途中からは明らかに僕が原因でしたから。この状態で勝つことができなかったら、次の参加はないな。参加したいということはできない」

イチローは敗因をすべて自分が背負う覚悟を決めていた。

天国か、地獄か。その運命を決めるのは天からの贈り物ではなく、己の技量のみだった。

8球目。

キャッチャーの姜は外角に構えるも、林の投じたフォークは落ちきれず、真ん中に入る。その絶好球をイチローが逃すことはなかった。

打球はラインドライブで林の頭上を超え、センターへと抜ける。内川が、そして岩村がホームへと帰り、雄叫びを上げながらハイタッチする。5−3。この試合、侍ジャパンは韓国から3度目のリードを奪った。

歓喜にわく日本ベンチ。だが、値千金の一打を放ったイチローは二塁に到達すると笑みすら浮かべなかった。

「センターは間違いなくホームに投げるだろうと、走りながら僕はどう振る舞うべきか考えた。そこで興奮したらダメ。だから僕はあのとき、まず全日本のダグアウトを見ちゃダメだと思った。(ベンチの喜びに)応えなくちゃいけなくなるから。いつも通りに振る舞うことが相手も悔しいだろうと、走りながら考えていた。だからアームガードを外して、いつも通りに振る舞った」

本当は飛び上がるほど嬉しかった。ただ感情的になったら絶対に負ける。感情を抑えることで、こちらの底を見せない。それがイチローの矜持だった。

だから、つらく、長いプレッシャーから解放されたこの瞬間もイチローはイチローとして振る舞った。

10回裏、ダルビッシュが最後のバッターから三振を奪い、ゲームセット。日本はイチローが挙げた2点を守り切り、WBCを連覇した。

イチローはよっしゃと口にしながら、グラブを叩き、マウンドにできた歓喜の輪へと駆けていく。

ドジャースタジアムにはKool & The Gangの「Celebration」が流れていた。

「Let’s all celebrate and have a good time .We gon’ celebrate and have a good time.」
(みんなで祝って 楽しい時を過ごそう 僕たちはお祝いして 楽しい時を過ごすんだ)

ロサンゼルスの夜空の下、歓喜のフレーズは何度も繰り返された。イチローも満面の笑みを浮かべ、勝利の喜びを全身で味わった。

天才は先を見る

「苦しいところから始まって、苦しさからつらさになって、つらさを越えたら今度は痛みが来て、心がね。でも、最終的に、こうやって、みんなで、笑顔になれたこと。日本のファンの人たち、笑顔が届けられたこと。最高です」

イチローは試合後のインタビューで、そう喜びを語った。

痛みは比喩でなく実際に襲っていた。実は2009年の始めから、原因不明の倦怠感に何度も襲われていた。

それでも「検査で問題があったとしても、僕がWBCに出ない選択肢はなかったでしょう? それなら病院に行ってもしょうがない」と検査を受けず、ここまで戦っていた。

WBCが終わるとすぐメジャーリーグの開幕が控えていた。だが、イチローは体調不良を訴え、開幕から胃潰瘍のため故障者リスト入りする。メジャーで16年間プレーしたイチローが故障者リストに入ったのはこの年のたった1回だけ。WBCのプレッシャーはそれだけ重いものだった。

イチローに敗れた林を待っていたのは「独断で勝負に挑んだ」との韓国メディアによる猛烈なバッシングだった。後年のインタビューで打たれた失投については悔やむも、イチローと勝負したことに悔いはないと話している。

林は2012年までスワローズでプレーし、その年の暮れにシカゴ・カブスとマイナー契約を結ぶ。翌2013年には夢だったメジャーリーグのマウンドを踏んだ。

カブスのスカウトはWBCでイチローと真っ向勝負する林の姿を見て「アメリカ人投手もそのような状況では勝負を避けようとする中、林が真っ向勝負するのを見て驚いた」といい、その戦う姿勢を高く評価していたという。

第2回WBCでのイチローの決勝打は日本のスポーツ史に刻まれ、今も繰り返し、繰り返し流されている。センターへと抜ける美しいあの打球を鮮明に思い出せるという人も多いだろう。

一方で、あのヒットの後のイチローの行動を覚えている人はどのくらいいるだろうか。

イチローに打たれたあとの林の中島への初球、イチローは難なく三盗を奪っているのだ。これには韓国ベンチもあっけにとられていた。日本中を興奮させたあの一打の後でも、天才は冷静だった。

この盗塁について、後にイチローはインタビューでこう語っている。

「2アウトだったから、普通は行かない。でも、あそこでは(韓国代表に)野球の厳しさを教えないといけないから」

決勝打を打った後に表情を変えないことも相手である韓国を意識した行動だった。天才は徹底していた。

2006年の「向こう30年、日本にはちょっと手を出せないなという感じで勝ちたい」との言葉は鼓舞ではなく、本心だった。イチローはこの決勝だけでなく、侍ジャパンのその先をも見据えてプレーしていた。

2009年以降、プロ選手が参加する国際試合で、日本は5勝1敗と大きく勝ち越している。

<参考資料>
・テレビ朝日系「神様に選ばれた試合」
・YouTubeパワプロ・プロスピ公式チャンネル「決め手は〇〇の強さ!?イチローが選ぶ2006/2009日本代表ベストオーダー!」
・YouTubeプロ野球OBプロ野球チャンネル「岩村明憲が語る、2006、2009WBCで目撃したイチローの姿」
・小西慶三「イチロー実録 2001-2019」(文藝春秋)
・「Sports Graphic Number」2009年4月2日発売号(文藝春秋)
・文藝春秋2010年9月号(文藝春秋)
・Webスポルティーバ「イチローから『どうします?』。WBC伝説のタイムリーの裏でスコアラーが答えたイム・チャンヨンの狙い球」
・スポーツナビ「韓国チームが語る『特別な存在』イチロー 第2回WBC決勝での8球を振り返る」
・日刊スポーツ「【引退スピーチ全文】巨人亀井善行、仲間にファンに家族に感謝 涙と笑いと」
・Number Web「『巨人びいき』批判があふれた亀井善行のWBC選出、原監督が明かしていた“本当の理由”『イチローに何かあった場合…』

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