自分は悪人なのか?
最近自分がやっていることが、善なのか、悪なのかわからなくなってきた。
そもそも善と悪は目的によって決まるもの。
悪人になるのが最終目的なら、犯罪が善になる。人助けが悪になる。
もちろん善人になりたい。究極の善が目的。
悪人になって不幸になりたくはない。
日々善を実行できるように試行錯誤してきたつもり。
でも私は静かになるといつも、自分が何を考えているのか、ずっと考える癖がある。
振り返る、の方が正しいのかも。
自分の心に集中してみると、不思議なことに、善だと思っていたものが善ではないことに気がつく。
もっと正確にいうと、善?悪…?どっちだ…?となって混乱してしまう。
?マークをつけている自分は、まだ誤魔化したい、自惚れていたい、基準をあやふやにしていたい、という心が表れていると思う。
自分の一挙手一投足の行動が、相手に何を求めているのか?
気になって仕方がない。
これは自己愛の行動ではないか、という疑問が出てくる。
自己を愛していなかったら、こんな善なんて出来ない。
全ては自愛行動なのではないかと。
善と名前がついているだけで、恐ろしいエゴの塊のなすりつけ合いなのではないかとも思ってしまう。
泥がついたモップで泥の床を掃除するようなものに思えてくる。
なんだこれ?
しかも自分の思い通りにはならないことはたくさんあるし、
それを「本当」に思い通りにいかないと受け止めることが本当に難しい。
天気は思い通りいかないのは当たり前。
雨にキレる人は愚かだと誰もが思うけど、人間に対してはどうだろう。
相手が思い通りになるわけがないのに、自分の思い通りにできると思ってしまう。
思い通りにいかない、と思った時の自己愛の根っこ、自分の根っこは静かに探っても探っても出てこない。
根っこがないとしたら、それは初めから自己愛の塊だったことに他ならないと思う。
記事を書きながら、音楽を聴いて、自分の心を誤魔化そうとしている。
静かに記事を書くと、自分が何を考え続けているのかが嫌でも心に映る。
本当とは何か?自分は悪なのか?と見たくない現実の断片が見える。
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