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自己紹介とこれまでのあらすじ③(了)

 続きです。

 そこで私の人生というものが一気にハメを外してしまったのか何なのか。(その辺りは今度運命の神様か女神様にお目通りがかなった時にでも聞いてみないとわかりませんが)

 この後も現在にいたるまで、私の人生は趣味で描いていたパステル画が認められて芸術家ビザが下りたことで夫婦揃ってフランスに移住することになったり、ニューヨークでのアートエキスポ出展から一気にパリ近郊へ引っ越すウルトラCが決まったり、そこからのリーマンショックによる状況の急変があったり、ドイツへの移住計画が持ち上がりそこで中国人家主に騙され北朝鮮に売られそうになった挙げ句、デュッセルドルフ総領事館の助けを頂いて急転直下帰国する……などという、まあ、決して狙ってやった訳はないのですが、ジェットコースターのようなスリル満点の連続という人生経路で現在まで辿り着いてしまいました。
 そうして、はたと気がついたら先述したように今年の7月で早51歳と言うわけです。

 しかしまあ、このエントリは一応自己紹介の延長なわけですから、それぞれの話題の詳しい話については別の話として追々語っていくと致しまして、今回はこうして紆余曲折の末に帰国した後の話を、少々する程度に留めておくことにしようと思います。

 2010年のことです。フランスからドイツに更に移住しようとしたのにも色々と理由がありました。
 フランスの食べ物には実はちょっとした癖のようなものがありまして、一般のスーパーや外食などに出回っている食材にはケミカルな添加物が多く含まれいるんです。(それはおそらくフランス人の薬好きな側面が影響しているのではないか?と邪推しているのですが)2005年くらいに渡仏して数年暮らしたくらいのその頃、私たち夫婦の体には変調が起こっていました。
 だんだん何かを食べた時にアナフィラキシーのような症状が起きるようになってきており、時には食後に体調が急変して倒れるようなことも頻発するようになっていたのです。それはまるで体がもうフランスの食事には耐えられない!と悲鳴を上げているかのようでした。

 そしてパリの出版社を一カ月くらい強行軍で巡って帰ってきた2010年の2月のこと。疲れが溜まっていたらしい私は、いきなり40度以上の高熱を出してその場に倒れ込み、そのまま死にかけてしまいます。
 その時看病してくれた妻の話では、一晩で私の体重は5キロ以上は一気に落ちてしまい、それまでも50キロ前後だった体重がそこから更に45キロくらいにまで減少してしまっていたとのことです。
 ガリガリになってしまった私は、そのまま一カ月全くベッドから起き上がることができずに……口にできるものと言えばは重湯かお粥という生活を続けることになってしまいました。
 回復してからも、それ以来私の体は添加物や農薬などに対して異常に過敏に反応するようになってしまっており、もう戻らないためその後食べ物にはかなりの制限がかかるようになってしまったのです。

 これがある意味では決定打でした。
 
 それまでの私たちは、アーティストビザがフランス政府から出たことによって芸術家としてフランスに居住していたんですけれども、妻は実は大学でドイツ語を専攻しており、ドイツの大学に入学できるほどの資格を持っていた。(半官半民機関ゲーテインスティテュートのZMPという資格です)そこからパリほどは景気も悪くなく、妻の語学も役に立つドイツに移住しようかという話が出てきます。
 これが結果的には大悪手ということになってしまい、中国系移民の大家に騙されて北朝鮮に売られそうになったこと(これは当時総領事館に詰めていて私たちを助けてくれたインターポールの方から教えて頂いたことです。そして追手がかかるかもしれないので、気を付けたほうがいいと帰国を強く勧められました)によって、2010年11月には日本に帰国することになりました。

 そこから取り合えず妻は英語とドイツ語の翻訳家、私はウェブやDTP関連のデザイナーをしながら、いつか二人で絵の仕事に戻ることを目標としつつ、妻がデジタルで絵を描き、私がそれをフォトショップで仕上げるという形で作品を作るようになったのです。

 一方で、私には昔から小説を書く趣味がありました。
 それが数年前、再度体調が急変して思うように仕事ができなくなっていた時、オリジナルの小説を書くという方向へと繋がっていった──こうして現在に至ります。

 若い頃に色々なんかよくわからない神秘体験をしたことをきっかけに、一時はスピリチュアルな方向に昏倒していた経験なんかも、そういった執筆活動に生かしていきたいという気持ちも少しはありました。
(ちなみに今はそれほど宗教やニューエイジなどを集団で探求したい気持ちはありません。昔そういう辺りでも様々な経験をしたことで今ではむしろそういった集団とは一線を引いておきたい気持ちのほうがむしろ強いんです)

 こうして。
 私は小説を書くようになりました。

 ぐだくだと徒然に自分語りをしてしまいしたが、私の人生の「あらすじ」はまあこんな感じです。
 さて、私の人生にはこの先どのようなシナリオが用意されているのでしょうか?
 願わくば、途中経過はどうあれ最後にはハッピーエンドへと行きつきますように!

<この項、了>


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