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自己紹介とこれまでのあらすじ①

えっと、自己紹介であります。
……なんだか緊張しますね。

 まずは名前。
 青井たつみ。
 これは本名ではありません。小説を書くためにペンネームとして名付けたものです。職業は現在はデザイナーですが写真も撮ります。そちらはどちらも本名で活動していますが、小説を書く時だけはこうして世を忍ぶ仮の姿として現界するのです(ということにしておいて下さい)。

 次に年齢ですか。
 去年の暮れについ調子に乗ってしまい、コスプレ写真という形でセルフフォトをアップしてしまって以来、ツイッターのフォロワーさん界隈では私の年齢について憶測が広がっていたみたいです。
 面倒くさいので、もういきなり答えから言ってしまうと、私は1969年7月生まれの現在51歳。
 いわゆるアラフィフです。

 1969年というと昭和44年。
 昭和ですよ昭和! もう嫌になります(苦笑)
 3つの年号を跨ぐなんて言うと、我々の世代では「明治生まれかーい!」なんて揶揄が飛んできそうで、いや違うんですこれは──なんて意味もなく弁明したくなってしまいます。
 この写真(2019年の暮れに撮ったものです)にある長髪を見て頂ければわかる通り、これまで目一杯好き勝手放題に生きてきたとは言え、あんまり自分がそんな年になってしまったという自覚も実感もありません。
 これまではそう言う風に見られるのも正直嫌だったので、欧州から帰ってきた2010年以降の10年間は仕事以外、年齢不詳正体不明を貫いてきたのですが、まあ心境の変化といいますか状況の変化といいますか……色々あってこうして正体を少しずつ明かしていくことにしたというわけです。

 今はますます透明性が重要な時代になってきていますしね。
 あまりに隠し事をしながら活動をしていると、どうしてもあちらこちらを誤魔化したり小さな嘘をついたりせざるを得えなくなりますし、それによって不信感が広がるような要因にもなりかねない。
 その辺りを鑑みてバランスを取ることにした──そんな感じでしょうか。

 簡単に経歴を書いておきますと(などと言いながら結構長くなってしまいましたのでエントリを3つに分けました)もともと私はIT関連企業出身だったりします。
 時に西暦2000年前後のことです。
 時代はインターネットがそろそろ一般にまで広がり始めた頃。企業用のレンタルサーバーの黎明期といったタイミングです。そのレンタルサーバーサービスを提供するある会社で私は働いていました。

 もう少し具体的に言いますと、光通信関連の代理店でシステム件テクニカルサポートとして関東周辺のあちこちを飛び回っていたんですね。当時の私はこの仕事が面白くて仕方なく、困っている顧客の元を訪れては感謝されて帰って来るという毎日に「これって天使のお仕事じゃないか?」と生きがいを感じておりました。
 そうこうしているうちに当初池袋にあった会社は次第に大きくなって、新宿の新都心にある高層ビルの一角にオフィスが移転する運びとなり、都庁に向かう公務員に交じって移動式歩道で通勤するようになったある日のこと。私は上司から呼び出されます。

「出向してくれないか」

 巨大化した会社はサポート事業部を子会社化して当時のアウトソーシングという時流に乗りつつ、それを隠れ蓑にしてとある大手ソフトウェアメーカーと時代を先取りしたコミュニティサイトを立ち上げようとしていたらしいのです。
(ミクシィがサービスを開始する4年程前のことです。成功していたら面白いことになっていたかもしれません)
 その子会社において、ウェブサイト部門とサポート部門に大きく二つに分かれた柱のうちのサポート部門の方の責任者として兵隊たちを統率して欲しいとのことでした。

 当時の私は30過ぎ。
 責任者になったからには「天使のお仕事」はお役御免となってしまいます。少し残念な気持ちもありましたが、説明された壮大な計画に胸が躍るのを隠すことはできませんでした。
 それも社長直属の責任者。会社役員待遇です。

「私にもやっと運が向いてきたか」
 
 そう考え、それを言葉にした私を一体誰が責められましょう。
 しかしそう一度言葉にしてしまった呟きは案の定強烈な「フラグ」として働いてしまったらしい。
 フラグ──そう、正にそれは晴天の霹靂と言うものでした。

 突然の倒産です。
 

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