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#真夜中インター 物語を考える(書く)こと

最初に「お話」を考える、創作するようになったのはいつだろう?

小学3年の時に作文の宿題が出された。
テーマはなんでもよかった。
でも、何も思い浮かばなかった。
そこで母に「作文の宿題が出たけれど何を書けばいいのかわからない」と訊ねたら、「そのまんま作文にすればいいじゃない。何を書けばいいのかわかりません、って」と言われた。
だから、そのまま書いた。
書くネタが思い浮かばないこと。母に訊いても「書くことがないと書けばいい」と言われたこと。だから、こうして書くことがないと作文を書いている。
確か原稿用紙で2枚分だと記憶している。
翌日提出して、放課後に先生に職員室に呼び出された。
「先生としては面白い作文だと思ったけれど、本当に書くことがなかったのかな?家族のことでもそこかに遊びに行って楽しかったことでもいいんだよ」
そう言われた。
家族のことを書くなんてちっとも思い浮かばなかったし、どこかに行って楽しかったことをわざわざ作文に書くというのもピンとこなかった。
そういう自分がいつから「お話」を書くようになったのか?

中学・高校は「絵描き」だった。
美術部にも所属していた中学時代から、家で机に向かってすることは、勉強ではなく「絵を描く」だった。
先輩が「サークルの会誌」なるコピー誌を見せてくれたことから、「イラストを描く」ことを覚えた。
可愛いキャラクターやアニメ・漫画の模写より、頭の中に浮かんだ風景、ワンシーンを紙に描いていく。B5サイズのケント紙は当時1枚20円。それに150円のミリペンでひたすら描いた。
出来上がった絵を見てサークルの仲間に「これはどういう意味があるの?」と訊かれるたびに、「実はこの絵にはこういう背景が・・・」と説明するも、そこには物語のオチがないことに気がついた。
だから決して漫画にすることはできない。
別にそれでもいいと思っていた。
大抵は自分の見た夢がモチーフだったせいもあるかもしれない。
いつだったか覚えていないが「考え事をして眠れない時は言葉ではなく映像で考え事をすると眠れる」と聞いて実行するようになった。
初めは「映像で考える」という意味がわからなかったが、「眠る前から夢を見るようなもの」というところに行き着いた。寝入り端に見る夢である。
夢を見ながら眠りについて、夢を見て目を覚ます。
寝入り端に最初は現実での悩みやその日あったことを思い出していたはずなのに、勝手に風景が変わり、見知らぬ人物まで登場する。
「これはどういうことだ?」などと悩まずその映像を見ているうちに眠ってしまう。
目が覚めた時に「さっきの夢の続きが気になる」「いいところだったのに」などと思って目が覚めても、朝の支度を終える頃にはほとんど夢を忘れている。ましてや寝入り端に見ていたものなど覚えていない。
もったいない。
夢を記すようになった。

絵を描く時もその世界観をメモするようになった。
それが、「物語を考えること」の始まりだと思う。

夢によく出てくる見知らぬ人がいた。
ひとりは侍姿をしていた。
とても親しくしている人を斬らなくてはならない立場にあり、どうしたら相手を苦しませずに斬ることができるか、毎日道場でひとり稽古に励んでいた。
もうひとりは若い男性で、いつも大きな建物の中を歩いている。探していたり、逃げていたり、歩いている理由は様々だった。
自分は彼らのことを俯瞰して見ていた。
彼らは寝入り端の夢にも出てきた。
彼らを認識したことで「自分は眠る前から夢を見ているんだ」とも思った。
次第に彼らの周り(特に後者)のことも断片的に夢に見るようになった。
夢を見ながら、夢を見ている自分が「あぁ、ここは彼の住んでいる街と同じ街だ」などと思うこともよくあった。
今思うと何故そう思ったのかわからないが、日中でもぼんやりとしていると彼らのいる世界を見ることがあった。折角起きていて見たものだから・・・・・・・・・・・・・・それを書き留めたりもした。

高校生の頃から続けていたサークルがメンバーの入れ替わりなどから、会誌のカラーも最初の頃のアニメ・漫画のパロディ路線から創作ものに変わったあたりから、自分もイラストで描いていたもを文章で表すようになった。
繋がっているような、繋がっていないような、奇妙な物語の世界。
それらをずっと子どもが生まれるまで書いていた。

子どもが生まれてぼんやりする時間がなくなり、夢を記すこともなくなった。その代わりに育児メモが増えていった。
子どもが3歳くらいから寝る前に物語を聞かせるようになった。
本を読むのではなく思いつくまま話をする。
「火星の地下に住んでいる小人の話」を息子はとても気に入ってほとんど毎晩そのリクエストに応えた。
かつて夢に出てきた彼らの世界のように自然に小人たちが動き出す。
本当に火星での彼らの世界を見ているんじゃないか?と思うほど「今日のコビッツくんたち」(お察しのように指輪物語の映画の頃です)を語った。
蟻の巣のような彼らの街。地球の人々よりも穏やかだけどやはりいろいろ問題を抱えていること。息子が小学2年生になる頃までその話は続いた。

続いてはいるが「昨日の続き」にはならなかった。
毎日が「今日のコビッツくん」なのだ。
それに気がついたのは実はほんの2年前だった。
息子が単身赴任したことで、ひとりになった。(夫とは息子が6歳になる年に別居しておおよそ6年後に離婚している)
その頃から夢日記を再開するようなり、かつてつけていたメモのことを思い出した。
育児メモのノートと一緒の箱に入っていた3冊の大学ノートと、数冊の手帳。そして、なぜかそこにかつてのサークルの会誌も入っていた。
大学ノートにはとある物語が書かれていた。
夢の中に出てきた彼をモチーフに書いていることはわかったが、それは夢で見ていた世界と少し違っているような気がした。
大学ノート3冊は話が全て繋がっているわけではないし、完結もしていない。
手帳のメモも意味があるようなないような、書いた自分ですらもう首を傾げてしまうものもあった。
サークルの会誌にあった自分の話は、「おい、この続きは?」と思いたくなるものも多かった。
自分の書く物語は「点」なのだと思った。
たくさんの「点」があるだけで、繋がっていない。
線にもならず、ましてや面や空間になどなるわけがない。

「点」を繋げることはできないか?
そう思って再び物語を作り始めた。
しかし、2年近く書き続けても、ちっとも点は繋がらず、ただただ増えていくだけだ。
それでも少し近くに並ぶ点があったり、重なってみたりしているものもあるような気がする。
昔のメモを整理しながら、新しいメモも増えていく。
「点」が繋がるのが先か?メモを書けなくなるのが先か?
それでもしばらくの間は物語を作る・書くを続けていきたいと思う。

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創作アカウントと雑文・日記のアカウントを分けているのには理由があります。
自分自身と物語との距離感がそこそこある。
作家さんでも評論・随筆と小説とでペンネームを変えていらっしゃる方がいますが、「そうだよねぇ。違うよねぇ」と頷いてしまう。
日常からちょっと逸脱したい先に物語の世界がある。そう思っている。
だから、日常のことを語るのとは別にしたいな。そう思ってしまうんです。

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