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最後のふたり

想像してほしい。

その地では、それから先はもう新しい命が誕生することはない。
ひとり、またひとりと、人が死んでいく。
死んだ者を皆が弔う。穴を掘り、墓を作り、皆が弔う。
最後のひとりだけは誰にも弔ってもらうこともない。

もしも、最後の「ふたり」になったら、先に死にたい?後に死にたい?
もしも、相手が自分の愛する人ならば、自分はその人を弔ってあげたい。自分の恋人でも、親でも、子どもでも。自分の愛する人とふたりになってしまったら、最後に死ぬのは自分がいい。
愛する相手でないならば、どちらが先でも構わない。
弔うことは「きまりごと」だから。でも、相手の弔わなかったとしても誰が自分を責めるだろう?
弔いは、最後の何人まで行われるのだろう?

だけど、もしも、最後に残るのがキミとふたりだとしたら、どうか一緒に死んでいこう。
ふたりで一緒に朽ちていこう。
むしろ、最後に残るのは、キミとふたりならいいのにと思ってしまう。

「そう思うのは迷惑かな?」
「いや、むしろ、そう思ってもらえて光栄だ」