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今までアポロ11号の月面着陸を何度も何度もテレビの画面越しに見てきた。
その度に不思議な感覚があった。

遠くにあるモノクロの画面(そもそも月面に色はあるのか?)を誰かの頭越しに見ている。
それはもう何度も何度も見た月面着陸だから、そんなこともあったかもしれない、が、頭が近すぎる。自分の視界の半分は誰かの頭で隠れていた。長い椅子に人座っている。帽子を被っている人もいる。椅子は何列にも並んでいて、そこに座る人は皆無言のままモノクロのブラウン管を見上げていた。

自分がふと視線を落とすと、ひび割れたリノニウムの床が見えた。
自分はどこで月面着陸を見ているのだろう?
「これは夢なのだろうか?」
全ては彩度がやや落ちているような、そんな光景をいつも思い出す。
勝手にそれは冬だと思っていたが、月面に到達したのは1969年の7月だった。

それがなんだかわからないまま何十年も過ごしてきた。
ある日母が言った。やはりテレビではアームストロング船長が白い月面を歩いていた。
「病院の待合室で月面着陸を見たのよ」
「あんたの首のマッサージで総合病院に行っててさ」
「みんな黙ってテレビを見てた」
「あんたを負ぶっていたから、ずーっと立って見てたんだよね」
あれは記憶だったのだ。

あの光景は自分の最古の記憶。
一歳の赤ん坊にとって何の意味も持たないであろう、モノクロのブラウン管の画面の中の白い地面と黒い空。それを誰もがじっと見ている。固唾を飲んで見守っている。
そして、それと同じくらい印象的なひび割れた床。
ひどく静かな夏の記憶。

もうしばらく誰も月に降り立つこともない。
月面の足跡も、残された機械も、星条旗も、時の流れを知っているのだろうか?
彼らが佇む月の上にも未来が訪れているのだろうか?
そんなことを思いながら、月を見た。
そこには何も変わらないような顔をしている月がいた。