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金魚と仙人掌

自分が高校に上がる頃までだろうか。街に屋台というか荷車での移動販売(と言っても同じ場所でしか見かけなかったが)をしている人がいた。
おでんを売っているおばあさん。おばあさんのおでんの出汁は黒くて、串を引っ張り上げないと何の具なのかわからないほどだった。おばあさんの屋台にはおでんと一緒にオロナミンCが置いてあったが、それが売り物なのかおばあさんが飲むものだったのか解らず仕舞いでおばあさんの屋台を見かけなくなった。

金魚売りのおじさんもいた。
おじさんとおじいさんの間ぐらいのおじさん。
夏にしか見かけないおじさんは、毎年必ず市役所の前のバス停の脇のスペースに現れた。様々な金魚が荷台の水槽で揺れる。夏の夢のような存在だった。屋台に風鈴をぶら下げていた。風に揺れる風鈴の音がよく響いた。
一度だけ、父がそのおじさんから金魚を買ったことがある。
自分が小学生の頃、何で父とふたりで出掛けたのか覚えていない。
家にはもう何匹かの金魚がいて、それらは父がせっせと世話をしている甲斐もあり、キラキラと鱗は煌めき、尾も長く、いつまでも見ていられる綺麗な金魚たちだった。
おじさんとしばし話し込んで金魚を2匹買った。
ビニル袋の中で金魚は揺れている。
おじさんは「おまけ」と言って水草を別のビニル袋に入れて寄越した。
自分は水草の入ったビニル袋を持って歩いた。
中心街にはもうひとり、仙人掌を売るおじさんがいた。
金魚売りのおじさんと違い、冬場以外はずっと店を出している。金魚売りのおじさんより少しだけおじいさんに違いおじさん。でも、おじさんの姿はなかなか見かけない。たくさんの仙人掌がみっしりと置かれている荷台の上は段々になっていて、すべての仙人掌が見易く、取りやすくなっているが、それらの半分ぐらいにしか値札はつけられていない。
仙人掌に花が咲くのもおじさんの屋台で知った。
おじさんはお客さんが来るとどこからともなく現れては、お客さんの質問に答えて仙人掌を売る。ひやかしの客の時には現れないのか、中高生の自分が仙人掌を見ていても近づいてくることはなかった。ただ一度だけ、その金魚を買った帰り道におじさんの仙人掌屋台の前を通り掛かった時「よお」とおじさんが父に声を掛けた。
「あぁ、しばらくです」
父がおじさんに笑顔で応えた。
「いいな。金魚か」
おじさんが父の持つ金魚を覗き込んだ。
父とおじさんが知り合いなことに自分はただただ驚いていた。おじさんの方がはるかに父より年上に見えたがふたりは仲良く話をしていた。
「これ、持ってくかい?」
おじさんはひょろっとした葉が出ている鉢をどこからか取り出した。荷台の上にある仙人掌とは全く違うものだった。
父が返事を返す前に「株分けしたんだ。ただただ増えて困っている」とおじさんは言った。よく見ると葉に厚みがありトゲトゲした部分もある。
「いいんですか?」
「おぉ、持ってけ持ってけ。くれてやる」
おじさんはさっさと鉢をビニル袋に入れて父に手渡した。
「子どもがいるうちは仙人掌よりもアロエのがありがたいべ」
おじさんはそう言うと初めてこっちを見て笑った。

金魚もアロエもずっと家にいた。
父は生き物を育てるのが上手かったのだろう。
高校を卒業して家を出て、実家に戻ると金魚の面子が変わっていたり、鉢植えが増えていたりしていたが、ある時帰ると金魚の水槽がなくなっていた。
父にどうしたのかと訊ねたら、「一斉に病気になったんだ。だから仕舞いにした」と答えた。ベランダに鉢植えの台と化した水槽があった。
それから5年もせず父が死んだ。
「世話ができないから」と母が鉢植えを父の姉兄弟にくれてしまった。
ガランとしたベランダには伏せられたままの水槽が残った。
街ではもう屋台を見ることはなかった。