【80まちぶせ】#100のシリーズ
仕事柄、といっても副業の方だが、待つのは平気だ。ある意味待つことも仕事のうちと言ってもいいだろう。そのせいか、不必要に待つことはしたくない。順番待ちしてまでラーメンを食べることはしない。
「あぁ。僕も待つこと自体は平気です」
目の前に座る彼は長い指を組んだ手をゆっくり解いた。
背も高く手足も長い。足のサイズは聞いたことがないが、そう自分と変わらないように見える。頭は小さい。ゆえに整った顔もキュッとまとまっている。ただ、手だけが、大きい。細長い手をしている。指がとても長い。そのせいか、ピアニストやセロリストなど演奏家の役も多い。
「いろんなのを待ちます。前の撮影が押してる時も待ちますし。晴れるのを待ったり、日暮を待ったり」
彼はそう言いながら、窓の外を見た。
僕らは今、ターゲットを待っている。
いつも通る場所は掴めた。
相手は犬の散歩で必ずここを通る。
だが、時間が一定しない。
この仕事を片付けるために、僕は一昨日からわざわざこのホテルに泊まっている。「取材を兼ねて気分転換したい」と言ってホテルに泊まることは普段でもたまにある。
小説家というのは虚構を描く。虚構ゆえ嘘はいけない。
「一日中ビジネスホテルにいることってそういえばないですものね」
自分で持ってきた差し入れのサンドイッチを長い指で摘んだ彼は言う。
真昼のビジネスホテルで密室殺人は可能か?を検証したい。と言ったら編集部はどうぞどうぞと取材費を工面してくれた。
「リゾートホテルならそれなりの楽しみ方もありますけどね?」
「キミはそういうところによく行くの?」
彼は卵ときゅうりのサンドイッチを咀嚼しながら首を振った。
「人が多いところ苦手なんです」
彼の見た目は目立つ。そして彼はかなりの有名人だ。
「人に会わないところじゃないと行きませんね」
「そんなところあるんだ」
「先生にもいいところお教えできますよ。密室殺人どころか死体も見つからなそうな場所」
と言ってニヤリと笑った。
この部屋から見える通りの先に「川」という名前がついている堀がある。
江戸時代よりも前からある堀は、かつて難攻不落を誇っていた城を守るために作られたもので幅も深さもかなりある。堀の水は、西側にある川から流れ込むだけでなく地下からも湧いている。
表面から見ると緩やかな流れのように思えるが、間違って落ちるとよほど泳ぎが得意でなければ溺れてしまう。今までも何人か亡くなっている。
堀の内側は城址公園になっていて、公園内にはいくつかカメラがある。
それなのに堀の外側周辺には防犯カメラがほとんどない。
周囲の住人の反対にあっているのだと聞く。
堀に落ちた人のほとんどは公園内から堀に入っている。
花見で酒を飲んで、だったり、若者のちょっとした悪戯からだったり。
堀の囲む柵も公園内の方が高い。
彼が訪ねていたのは午後3時過ぎ。
そこからのんびりと話し込んで、一緒に夕飯を食べに出る。
そういう設定だ。
ビジネスホテルの客室内にはカメラはない。
しかし、廊下にはカメラがある。部屋に誰がいつ出入りしたかはわかる。
「そろそろ、日も暮れてきましたし出掛けましょうか?」
僕と彼が部屋を出たのは夕方6時を少し過ぎた頃だった。
ホテルのフロントに「少し出掛けてきます」と告げたら、若いフロントの男の子が「あのう」と遠慮がちに声をかけてきた。
「サイン。お願いできますか?できればおふたりから」
そう言って、僕の本をカウンターの上に置いた。それは後ろに立つ彼が主演を演じている探偵シリーズでもある。
「いいですよ。ね、先生」
僕よりも先に彼が答えた。
「ありがとうございます」
そして僕らはサインを済ませ、ホテルを出た。
「親切なんだね」
道路を渡って堀沿いを歩き始めてそう言うと、彼は「下心ありますから」と言って笑った。
それは僕の書く探偵を演じる時の顔だった。
ターゲットはこの堀に川の水が注ぎ込む場所のすぐ近くでそこから時計回りにこの堀を一周する。
僕らはちょうどターゲットの出発地点から見ると真ん中の辺りから時計の逆回りに歩く。時折、足を止め、スマホで写真を撮ったりする。
彼はキャップを被り、縁の太いメガネを掛けている。
ふたりともマスクをつけているが今のご時世だ。別に不自然ではない。
「来ませんね」
僕らが予定していた場所に着いてしまった。
「木曜日だから今頃かと思ったんですけどね」
ターゲットが犬を散歩に連れ出す時間はまちまちだったが、それでも木曜日はほぼ同じ時刻だった。
「いいなぁ。ボルゾイ。飼ってみたいなぁ。でも短命なんですよね」
立ち止まって彼が言った。
「そうなんだ」
彼はしゃがみ込んでスニーカーの紐を結び直す。
「残されるのも残すのも嫌なんで生き物は飼わないんです」
「ふうん」
頷きながらどうしようか考えた。
ここが一番仕事に適した場所だった。
彼が立ち上がりざまポケットからスマホを出した。
それを耳に当て、僕の方に向かって言った。
「このまま、待ちましょう。俺の電話を待つふりで」
そしてわずかに顎を上げた。
見ると遠くに大きな犬が見えた。
ターゲットだ。
こちらに来るまで5分もない。
「俺、待つのは慣れていますが、まちぶせって初めてです」
ほとんど見えない顔だけど、彼が満面の笑みを浮かべているのがわかった。
「おいおい。これから人を殺すんだからな」
「わかってます」
彼は言う。
「犬は任せてくださいね」
ターゲットの姿がはっきりしたのと同時に、彼がターゲットに向かって歩き出す。
周囲には誰もいない。
すれ違いざま彼が犬に声を掛ける。
犬が立ち止まる。
ターゲットが彼の方を向いた。
僕はゆっくり歩き出す。
彼が屈んで犬を撫でる。
「知らない人にこんなにすぐに懐くなんて」
ターゲットの声が聞こえた。
彼が歩き出す。
犬が彼を追おうとする。
ターゲットが犬に引っ張られバランスを崩す。
僕はターゲットの背中を押す。
柵を越えたターゲットの手から、彼が犬のリードを外す。
水飛沫を上げてターゲットが落ちる。
バシャバシャという音と共にターゲットが流されて行くのが見えた。
それなのに、犬は吠えようともせず、彼に撫でられている。
誰かがこちらに来る気配もない。
水音がしなくなった頃、僕らは犬を連れて歩き出した。
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