感想:隣のお姉さんが好き (1):面倒くさい人を好きになった少年の恋物語

本作は、中学2年の少年たーくんが幼馴染の高校2年の少女、心愛さんに告白しても相手にされず、ただし少女の好きな映画の鑑賞会を通してお互いのことを理解していくという話です。
心理描写が物凄く丁寧な恋愛マンガで、読み返す度に新しい発見があります。

心愛さんは通りすがりの中学生が「超美人がいる」と指さすほどの美人で、学内でもモデルみたいだと有名らしくモテモテなはずですが、自分には良い所がどこにもなく、自分が他人に好かれるわけがないと言います。
つまり、彼女は、自分は外見だけしかない中身のない人間だと思い込んでおり、自分に寄せられる好意を少しも信じられない面倒くさい女性なわけです

基本的には心愛さんにとって自分に好意を寄せる男性は、例えば喫茶店での事件のようなトラブルの原因にしかならない「不要な人間」です。
ですが、心愛さんにとってたーくんは弟みたいな存在なので、オタク特有の布教精神を発揮して、彼に映画を見せたがります。
自分に好意を寄せる不要な人間達の中で、例外的にたーくんだけが映画鑑賞会を通して心愛さんに近づくことができます。

しかし、それはたーくんにとって茨の道でもあります。
この面倒くさい人に好意を受け取ってもらうのは至難の業だからです。
たーくんから何度も寄せられるストレートな好意に対して、心愛さんは自己肯定感の低い人特有の反発を示します。

一度は、たーくんは、その他大勢の不要な人間に格下げされかける危機も経験します。
心愛さんを面倒くさい人と言って怒らせた後、映画の感想を求められた時がそれです。
たーくんが、心愛さんにとって映画を布教したい相手から、自分に言い寄るだけの不要な人間になるかならないかの瀬戸際でした。
たーくんが直感的に「ここで間違えたら二度と一緒に映画を観れない気がする」と思ったのは正解です。
もし、たーくんがこの直後に、偶然にもあの大正解の答えを返していなければ、この恋愛物語はそこで終わっていたことでしょう。
映画オタクにとって、自分の布教が成功しかけていることを知れるのは何よりの喜びなので、あの答えで再び「布教相手」に留まることができました

たーくんは、そういう綱渡りを繰り返しながらも、少年らしい素直さで心愛さんを理解しようと努め、様々なことを考えます。
その過程で、たーくんは、だらしなく尊敬できないと思っていた兄への見方も変えていきます。
本作は、たーくんが心愛さんと仲良くなるだけの話ではなく、心愛さん以外の他人に対する理解を深めていく話でもあります。
少年の他人に対する解像度が上がっていく過程が懇切丁寧に描かれているところが、本作の凄い所です

もちろん成長し、変わっていくのはたーくんだけではありません。
心愛さんも、たーくんが自分を好きな理由を考えることで自分に向き合います。
自己肯定感の低い人は、内省的に見えても、実際には自分はこうであると思い込んで、自分自身を客観的に見れていないことがあります。
たーくんは心愛さんの内面について発見したことを、失礼なまでにストレートに彼女に伝えることで、彼女に内省を促しています。

たーくんの内心を見ている私達は、彼が1度も心愛さんを好きな理由に「外見」を挙げたことがないことを知っています。(表情が豊かとか仕草が可愛いというのは、美人か否かとは無関係なので外見に含めないとします)
彼は最初からずっと彼女の内面しか見ていません。
だからこそ、たーくんは心愛さん自身が気がついていない彼女のことを彼女に教えることができます。
そして、たーくんは心愛さんに「私のこと、分かってないよ」から「分かった気にならないでもらえます」と言われるまでになりました

たーくんの恋愛が成就するかどうかは分かりませんが、本作は少年と少女の成長物語としても、甘酸っぱい恋愛物語としても、突出した完成度を持つ傑作なので、是非ご覧ください