感想:地質学者が文化地質学的に考える:地質学の本ではないので注意

私は本書を地質学についての本だと思って購入したのですが、そうではありませんでした。

まず、冒頭で20ページにわたり、著者の半生について聞かされます。
京都では応仁の乱の頃から住んでいて、ようやく京都人として認められるので戦後に住み始めた自分は京都人として扱われないとか、京都の文化芸術の奥深さを礼賛する話などが延々と続きます。
地質の話はほとんど出てきません。
とりあえす、京都人がいけ好かない連中であるということだけは理解できました。

その後は、著者の死生観についての持論が述べられたり、環境汚染について嘆いたり、反原発や反戦平和を主張したりします。
地質の話はほとんど出てきません。
とりあえす、著者が科学技術をあまり信頼しておらず、感性に重きを置く反知性主義者であることだけは理解できました。

そして、著者は人類はきっと滅亡するだろうから、1億年後に進化する新たな知的生命体に人類の芸術作品を残そうと訴え、深海に人類の芸術作品を埋める「美の化石美術館」構想を提案します。
地質の話はほとんど出てきません。
地質の本だと思っていたのに、人類滅亡後の知的生命体の話を聞かされても困ると思いました

このように本書は地質学の本ではなく、地質学を引退した著者が、自分の半生を振り返りつつ、自分の思想について語るエッセイ本です。
私は特に著者の思想には共感できませんでしたが、全共闘世代の高齢な左派の人がどんな思想を持っているかを知る事が出来ました。

景気を良くするとか、労働者の待遇を改善するという目先の問題にはあまり興味がなく、反原発とか反戦平和という遠望壮大な話が主な関心事で、科学技術の発展は環境を汚染するだけで人類の滅亡をもたらすと考えています。

生活の苦労は特にしていないので、生活者が直面する問題には興味がない。
反戦や反原発を訴えるが、現実的な解決策は提示せず、曖昧な危機感だけを極大に募らせて、人類滅亡という結論にまで飛躍し、人類滅亡後の知的生命体なんていう地に足のつかない構想に夢中になる。
そういう思考が見てとれます。

本書は、たまに地質の話が出てくるところは普通に面白いのですが、著者個人の思想を語る部分が上記のような内容だったので、私には楽しめない本でした