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諦めつつ行動する

ここ最近、一定のペースで小説を書きそれを公開している。

この時に必要な心構えとして、諦めつつ小説を書き、諦めつつそれを公開する、と言うものがある。

何を諦めるかというと、それはいろいろだ。

うまく書くことや、読者の反応を得られることや、それらに付随するあらゆる希望などなど……諦めるべきことは多岐に渡る。

昔は一球入魂、何事であってもいざ何かをアウトプットするならそれはもう完全完璧なものでなければいけないと思い、一つ一つの文章にかなりのエネルギーを注ぎこんできた。

しかし長期的に考えれば、完璧にすることを諦めつつもとりあえず前に進み何かをアウトプットし続ける方が、人に与えられるものの量も、自分の成長も多くなるであろう。

よって理屈の上では、物事の完璧性など望まず、その日できる範囲で何かをアウトプットしていくべきである。

だがそういった大人の行動をしようとするごとに、俺の消し難い自我が……エゴが暴れ、もっと質のいいアウトプットをすべきであり、もっと究極的にいいものを書くべきであり、それができるまで公開は差し控えるべきであると訴える。

その自我の訴えをスルーすることがすなわち、諦めると言うことである。

物事のスムーズな進展を常に自分のエゴは阻もうとする。その声を無視して行動を起こし前に進むときに必要な心構えが、諦めである。

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