浦島太郎2020


大学院の授業での浦島太郎のretelling の課題です。


ある夏の日のこと、太郎は湘南の海の近くをぶらぶらと散歩していた。このところ奇妙な感染症が世間を賑わせていて、すっかり運動不足となってしまい最近は週に2回程度散歩に出かけることにしている。しかし暑い。ジンジンと差し込む夏の日差しはアスファルトを鉄板のように熱し、顔と不織布に挟まれるわずかな空間にはこれでもかと湿気が閉じ込められていた。さすがにもう我慢ならなくなった太郎は近くのコンビニで飲み物を買ったついでにマスクを捨ててしまった。


そろそろうちに帰ろうかと歩き始めてすぐに、子供たちが数名浜辺でたむろしていたのを見つけた。カメラの構え方や喋り口調から察するに某動画サイト用に撮影しているのだろうな、とぼんやり思いながらそばを通り過ぎようとした時、何を思ったのか急に大人げない言葉が口を衝いて出た。
「君たち、そんなに集まってちゃだめだよ、2m離れなきゃ。感染症のこと知らないの?」
言い終える前に、自分が数分前にマスクを捨てたことを思い出し、ただでさえ熱せられた顔がさらに火照った。
しかし、子供たちは急に知らない中年の男性から声をかけられたことが衝撃だったのかすぐにその場を逃げ出すように後にした。
自分を棚に上げた発言を指摘されなかったことにひとまず胸をなでおろした太郎だったが、ふと子供たちがいたあたりに1匹の亀の存在を見とめた。

亀はこちらの方をじっと見つめてこう言った
「ありがとうございました、あなたのおかげで助かりました。」
どうやら亀の恩人ということになっているらしい。亀はこう続ける
「何とかお礼をしたい。どうか私の背に乗って一緒に竜宮城に来てくださいませんか?それはそれは素晴らしい所です。おいしいものやきれいな女性がたくさんいます」
最初は心底怪しんだ太郎だったが、詳しく話を聞くとどうやら夜の街ではないらしい。毎日画面と会話する生活にもそろそろ嫌気がさしていたこともあり、半信半疑ではあったが亀の後ろを少し距離をおいて付いていくことにした。
どれくらい歩いただろうか、いわゆる海中トンネルのような通路を少なくとも2時間以上亀と一緒に進んだ先にはえも言えないほど煌びやかな建造物の姿があった。
なるほど、これが竜宮城か。道の半分を過ぎたあたりから下らない店に連れていかれたらこの亀を鍋にして食ってやろうかと思っていたが、そんな心配は一気に晴れた。興奮した太郎は亀に一歩歩み寄って言う。
「カメさん、ここが竜宮城か?早く中を案内しておくれよ」

「もちろんです、太郎さん、存分に楽しんでいってください。」
初めは食事を楽しんだ。亀の前で刺身や魚の煮つけを食べることに少々戸惑いはあったが、味は確かだった。古風な召し物をまとった女性たちは料理を直接口に運んでくれようとするが、反射的にそれは拒んだ。その後は宴があった、ずいぶん酒を飲んでいたので記憶があいまいだが、何曲か自分も歌ったのだろう。一番自分好みの女性とデュエットをしたのが格別に楽しかったことだけは鮮明に覚えている。いつの間にか眠りについて、起きたらまたご馳走が用意されていた。朝から一緒に酒を飲み、一緒にご馳走を平らげ、一緒に歌を歌って眠る。酔った勢いで何人かの女性とは関係を持った。

そんな生活がかれこれ5日ほど続いたころ、太郎は会社のことを思いだした。そろそろ重要な資料の提出があるのだった。パソコンをこちらまで持ってこなかったことを心底後悔した。亀に家までパソコンを取りに帰っていいかと尋ねたが、どうやらそれはできないらしい。やむを得ず太郎はうちに帰ることにした。
 「太郎様、もうお帰りなのですね。私ももう少し一緒にいたかったのですが。またもう一度会えるように、これをもってかえってください。」
好みの女性はそう言うと、1つの綺麗な木箱を渡した。
「それは大事なものです、帰ってからあけてください。きっと二人をもう一度導いてくれます」
太郎は大事そうに木箱を受け取ると、亀と一緒に地上に帰ることにした。もう二度とあの道を歩きたくはないので、今度は亀の後ろに乗せてもらうことにした。


2時間ほどしたころ、ようやく地上に到着した。かめはこちらに深々とお辞儀をするとまた海の中へと消えてしまった。
海の中は大変に涼しかったこともあり、ついて早々太郎の額には汗がにじんでいた。太郎は思い出したように早速木箱のひもをほどき始めた。なかなか丁寧に包装されていたため開けるだけで一苦労だった。額からはすでに汗がしたたり落ちていた。
やっとひもがほどけ最後にそっとふたを開けると、そこには2まいのみすぼらしい布が入っていた。よく見ると耳掛けのようなゴム紐が2つづ付いている。子供のおまけでももう少しましな物がもらえると太郎は大きく肩を落とし、木箱ごとその浜に置いてきてしまった。浜を後にして、駅に向かった。

正午ほどなのに、途中パラパラと登校する小学生と何度かすれ違った。たいそう物珍しそうな視線を感じたが、服装に気を使わない太郎はあまり気にしなかった。のどが渇いたのでコンビニに立ち寄ったが、店員は誰もいなかった。レジらしきものも見当たらなかった。たまたま一人だけいた客に尋ねる
「飲み物を買いたいんですが、どうやって買えばいいのかわから・・・」
客は、こちらを鋭い眼光で睨みつけ、言い終える前にそそくさと離れて帰っていった。自分の容姿には微塵も自信がなかった太郎には、慣れっこだった。

飲み物を買うのはあきらめて、駅に向かった。駅のホームの階段を下りた時ちょうど横須賀線の電車が到着するころだった。
「電車から離れてください」
アナウンスが響くが、なかなか電車が止まらない。本当に一向に止まらない。いや、通過車両だったのか?そう思ったが、とはいえ一向に電車が通過しない。3分ほど電車が過ぎる景色を眺めた後、ようやく電車は停車した。そこにあったのは見たこともない長さの電車だった。10や20車両というような数ではないのは数えずともわかった。
全く訳が分からなかったが、ともかく乗りこんだ。いつもは混雑する車両もその日はたまたま3人ほどしか乗車していなかった。スマートフォンで次の会議の時間を確かめていると、フェイスシールドを身に着けた男性3人がこちらに向かって走ってきた。



男性の一人が「40代男性、車内にて感染症対策特例法により現行犯逮捕。2030年8月6日13:24」といって右手に手錠をかけた。


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