自分のため、人のため

自分は今まで"優しい人”、”自分よりも他人を優先できる人”だと言われることが多くそれが良いことだと思っていた。

その反面、”責任感がない”、”人任せ”と言われることも多い。

良いところは伸ばして、悪いところは改善して。

自分の欠点を改善できることが変わると言うことだと思い、考えて考えて生活してきている。


考えて気づいたことは"他人を優先すること"と"責任感がない"ことは自分の中ではイコールなんじゃないかと言う答えだ。

人のために自分を犠牲にすることで成功すれば褒められるが、失敗しても誰かのためにしたことだから自分に責任が生じない。


例えば、
友人に頼みごとをされた。それをするために睡眠時間を削り完遂した。完遂したことで友人はとても喜んでくれて、周りから見ても自分の睡眠時間を削り友人のために行動ができる優しい人に写る。
だが睡眠時間を削ることで家族との時間が減る。翌日睡眠不足で仕事のパフォーマンスが落ちる。この原因を自分は友人にされた頼み事をこなすために睡眠時間を削ったから。つまり友人の責任にしている。
人のためにした行動だから自分は悪くない。こういう思考になってしまっていた。

これが"他人を優先すること=責任感がない”になっているのではないかと思う。


これを
友人に頼み事をされた。
・自分の睡眠時間を削りたくないから断る選択をする
・完遂する選択をしたなら翌日の仕事に支障が出ないように対策をする
支障を出してしまうことは自分の行動であり結果。
人のためにして"あげた"ことではなく、人のために自分がしてあげたい行動をする。つまり自分本位であり自分の責任での行動。

人に言われた行動でもやると決めたのは自分。行動したのは自分。
よく言われる例えで、友達を殺せと言われたらするのか?と言われると思う。自分は今までこれは極論だしそれとこれとは違うと思っていた。
人を殺めて責任を問われないことはない。誰かにお願いされたから大丈夫と言うことはあり得ない。
自分の行動に責任を持つと言うことはそう言うことなんだと感じた。


根本を考えるとこれは他人軸で生きてきたからそうなるのではないかと思う。人の顔色を窺い、これをしたら喜ばれる。これをしたら嫌われる。怒られる。その軸で考えがあるうちは相手に何かをしてあげた優しさがあるから自分の責任は軽くなる思考になりがちになる。


喜ばれるから何?嫌われるから何?怒られるから何?
その人のために生きているんではなく、自分のなりたい姿がありビジョンがありそのために生きている。自分のために生きているから行動も自分の責任だと思えるんではないか。


大切にしたい家族があり幸せにしたいから頑張る。これは家族のためなのか?
家族を大切にしたい、幸せにしたいと思っている自分のために頑張っている。
誰かが喜ぶから頑張るのではなく、喜んでくれる姿が見たいから頑張る。全てに自分の感情が入るから、そう思いたいから頑張れるはず。


全て自分のためであり、自分の責任。

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