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「言い方」を気にする風潮

「でも、あの言い方は無いでしょ!」
「言い方がなんかイラっとする!」

これらは例に過ぎないが、

最近「言い方」によって人々の機嫌が左右されるということ
に対して苦笑いすることしかできない。

このような状況は
大抵、言い方は悪かろうが言っていることは的を得ている。

言っていることに否定できない連中が言い方という粗を探すはめになり

自身の非と無能さ加減を認めるという醜態を晒してしまうことと同義なのではないかと思う。

かといって、「言い方」に突っかからないと自分のメンツを保てない

なので、どちらかが気持ちに余裕を持つことが可能であれば、少しばかり譲歩してあげる必要がある

相手との意見が食い違った場合のコミュニケーションにおいて、
お互いが妥協できるラインを模索するためには少しでも障害となるトラブルを避けることが良い結果を生むことに繋がる。

「言い方」を気にすることで起きるトラブルは傍から見るとしょうもない事だと気付けると、自身に余裕が生まれることに繋がり、より大人な立ち回りができるようになる。

この風潮に対しては、反発し我が道を歩むのではなく
数学の公式を覚える時のような、「こういうもの精神」を持つことが重要である。

立ち止まって疑問を持ったところで何の発見も解決も無いことが明確であるので、日本人の得意な見て見ぬふりを発揮する良い機会であることが分かった。



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