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炎炎ノ消防隊から考えるカルト宗教

アニメで考える社会問題
本日は「炎炎ノ消防隊」を通して宗教について考えていきましょう。

「炎炎ノ消防隊」は2019年に第1期、2020年に第2期が放送されたアニメです。
炎炎ノ消防隊の世界は、とある大災害を境に始まった人体発火現象「焔(ほむら)ビト」による脅威に苛まれていました。
この脅威に対応して、一般市民を炎の恐怖から守り、人体発火現象の原因と解決策を究明するために「特殊消防隊」が組織されました。
主人公の「森羅日下部(しんらくさかべ)」は12年前に突然の火事によって母親と生まれたばかりの弟を亡くしてしまいました。
その犯人が自分であると疑われ、迫害を受けました。
のちに彼は特殊消防隊の訓練校を卒業し「第8特殊消防隊」に配属されました。
森羅は母親と弟のような被害者を増やさないため、また母親と弟を殺した犯人を捕まえ自らに被せられた濡れ衣を晴らすために、仲間たちと共に訓練と消防活動に励みながら、焔ビトの秘密を握る組織「伝導者一派」、そして時に他の消防隊との戦いを繰り広げていきます。

ストーリーの本質は、特殊消防隊と伝道者の戦いを通して人体発火現象の謎に迫っていく内容となっていますが、その節々で作中の宗教である「聖陽教」について語られています。
聖陽教は大災害が起こった後に立ち上がった宗教で、災害後の復興には聖陽教で語られている伝承が実際にあったとされています。
そのため、国民の多くは聖陽教を信仰しており、特殊消防隊にも焔ビトを鎮魂する際に祈りを行うシスターが各部隊に配置されています。
他の宗教は大災害以前にすべて崩壊しており、後に聖陽教が台頭したことにより、すべてそれに統括されたとされています。
なので、国民は宗教に関して争うことはありません。
一見は平和ですが、全員が同じ宗教というのも妙なものですね。

では本題です。
現代、世界には様々な宗教が乱立しております。
メジャーなところでは仏教・キリスト教・イスラム教でしょうか。
更に主要な宗教には、同じ宗教内にも解釈が異なる宗派がいくつもあります。
代表的なものはキリスト教の「カトリック」と「プロテスタント」でしょうか。
本質は同じですが、それぞれに教えなどの解釈が異なっており、各々が信じる方に属しています。
しかし、宗教というのはメジャーなものばかりではありません。
信者は少ないものの、固有の思想に則って活動するものもあります。
中には「カルト宗教」といった過激な思想をもつ宗教もあります。

カルト宗教には様々な定義がありますが、基本的には「特定の宗教や教祖を熱狂的に信じる新奇小の宗教集団」や「宗教の名を借りて教祖や集団の私利私欲を満たそうとする」ものを指します。
有名なものといったら「オウム真理教」でしょうね。
麻原彰晃を中心に、日本国内で大きな問題・事件を起こしました。
実際、宗教のイメージを悪くしたのは事実だと思います。
私は、オウム真理教は近年の若者の宗教離れの一因であるとも考えています。

カルト宗教は特に若い世代を中心に問題となっています。
それは、若者がそれらに入信する、若しくはさせられているからです。
では若者の宗教離れが進んでいる中で、なぜカルト宗教は信者を増やせているのか。
一番の理由は「宗教への入り口が巧みにわからないようになっているから」です。
例として、とある大学のスポーツサークルが実はカルト宗教の団体で、体験で入ったら勧誘された、友人にセミナーに誘われたら実はカルト宗教だったなどが挙げられます。
入り口から「宗教です」と公言すると、当然ながら疑って近づきません、
しかし、安全なように見えているのであれば、その疑いも和らぎます。
では、カルト宗教に入信するとどのような弊害があるのか。
以下、とある記事の抜粋です。

カルトの害悪には以下のようなものがあります。
・信教や思想信条の自由を侵害する
・カルトの価値観から抜け出せなくなり、自律的な意思決定ができなくなる
・構成員や一般の人々に対して献金等の名目で経済的収奪を行う
・構成員に対して暴力や性的虐待を行う
・病気が治るなどと称して生命や身体を害する
・集団自殺や犯罪行為に及ぶ
・カルト集団のために奉仕を強制される
・児童の虐待やネグレクト、家族関係の断絶

このような害悪を整理すると、次のように言うことができます。

カルトが
①構成員の思想信条の自由や信教の自由を侵害し、その結果
②構成員の自律的な思考や行動が損なわれることになり、
破滅的な損害を被ることになる。

消費者法ニュース

そのため、カルト宗教は非常に危険であり、関わらないでいられるならそれに越したことはありません。
しかし、誤解してはいけないのは「本流から外れた・少人数の宗教=カルト宗教」というわけではありません。
本当に人類の幸福を願う宗教も当然あります。
当然、最終的には自己判断するしかありません。
宗教そのものが不要になっている現代においては、宗教そのものに関わらずとも、幸せに生きることはできます。

私も、家族が仏教徒なため、自分も寺で手を合わせることはありますが、崇拝しているかと言われると微妙ですし、仏教の1から10まで話せる自信はありません。
結局は「身近にあったから」というだけです。
皆さんの周りにも、クリスマスや初詣といった宗教特融のイベントを楽しむ程度の人生でなんら問題はないと思います。
勿論、カルト宗教であっても信じたいものは信じればいいと思ます。
日本においてそれは「信仰の自由」として保障されています。
しかし、大事なのは「他人を巻き込まないこと」です。
自分が信じたいものを他人に押し付けないようにしましょう。
何事においてもそれは不変です。

今回はここまで。
次回もよろしくお願いします。


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