今からすごく独りよがりな話をするが許してほしい。

今から申し上げる「掌」とは指先から手首まですべてを指している。

僕は季節の変わり目になると、掌の皮がむけていく。いつからだろう、学生の自分からだ。皮が指先から脱皮し始め、最終的には掌全体の皮がむける。それはもうぼろぼろとひどいもんである。部屋も散らかるし汚くなるし、何よりカッサカサだ。ふと部屋でティッシュの上でむき始めたら龍角散一回分くらいの分量になっているときはザラにある。そしてそんなときは30分くらい経っている。いったい何があったんだと思う。毎回毎年。

掌の皮をむくのはやめられない。なんせまったく痛くない。むしろ気持ちがいい。今まさに皮が冬に向かってむけ始めているが、爪でむいていくのはえもいわれぬ心地よい快感が伴う。今の指って皮膚がいつもより若干厚くなっているのだけれど、日常生活の中でむけはじめ、とっかかりのできた皮をむいていくことができるのは正直うれしい。厚すぎる皮をむくことは楽しくない。なんていうか、普通だからだ。柔肌でありながらの厚みこそが肝要である。足の親指の皮なんてイージーすぎて何も面白くない。手指だ。剥いでいるときの感触は、冷えすぎていない、なめらかなアイスクリームにスプーンを入れていく感触に似ている。汚い言い方をすると鼻をほじる感触にも似ている気がする。耳掃除とも近いか?『真・三國無双』で調子いいときにも似ている気がする。最初からこうすべきだったかのようにちょうどよい塩梅で、爪につままれて剥離していく表皮、爪は程よい力加減で皮を遊ぶ。この剥がれ方にはこの角度からのアプローチが必要かな?とか効率と感触の両方が満たされるピックアップを探す。

皮は剝がされながらも様々な音色を出す。狭くタイトな、地肌に響く感触の剥がれ方。時折鉱脈を掘り当てたかのような、達成感ある広い面積をはがすことのできる恍惚。指紋を無視してどんどん剥がしていく何とも言えないあのパワープレイの和音。

それでいて掌自身がなんだかかゆいような熱いような日もあるのだ。水虫とかなのかな?と思ったがどうもそうでもないらしい。なんとなしに掻いたり机の端でボリボリと掻くと、はがれそうな皮のとっかかりが生まれる。ああ、快感の種ができたなと僕はほくそ笑む。

いっそこのまま掌すべてがまるっとはがれていったらどんなに気持ちいいだろう。グローブみたいなので来てほしい。でも現実はそうはいかず、あるところで爪と皮の自由演技はちぎれて終わる。毎年夢見ている一斉剥離はいつもかなわない。そして爪はほかのとっかかりをさがす。そして露出させられた弱い肌は戸惑いつつも環境に適応していく。さすがは様々なものに触れるエリア、たくましさを年若い皮膚からも感じずにはいられない。

気づけば僕はもう10年以上、季節の変わり目ごとに掌を愛でている。何もないときは忘れている。でもふと剥ぎだすともう止まらない。まったく飽きない。多分地球から全部の娯楽が消え去っても僕はこれが手元に残るので幾分ありがたい。これから僕は爺さんになっていき、掌に潤いもなくなっていくが、僕はずっとこの体質で僕を飽きさせないでほしい。

掌のことさえ無視した、すごく独りよがりな話だった。