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健ラヂのこと(2021/03/15)

 永遠ってなんだろう。

 ラヂオを聴き終わった今、三宅君はちゃんと寝るんだよなんて言ってくれはしたけども、やはり目はばっちりと冴えていて思考は留まりそうにない。
 三宅君の文章はラヂオだろうとにこ健だろうといつだってよくよく選び抜かれていて、それはきっとファンを見据えてのことだから、彼から生み出される言葉はどんなときでも心のいちばんやわらかいところまで沁みとおる。

 今日のラヂオで、彼は今回の決断を「いちばん綺麗な形で大切な箱にしまえる」と表現した。私は、なかなか眠ることができないまま彼の言葉を反芻していたが、ふと大学の講義で学んだ内容を思い出した。

 「クロノス」と「カイロス」という概念がある。どちらも時間にまつわる言葉ではあるが、その性質は似て非なるものだ。
 「クロノス(Chronos)」は、「数量で表せる時間」を指す。たとえば3分や1時間、50年といった具合に、時計を使えば可視化できる時間をいう。
 一方、「カイロス(Kairos)」は、人間の内的な時間を意味する。それはいわば思い出であったり人生における決定的なひとときであったりする。

 「クロノス」としては10秒にも満たない瞬間が、「カイロス」の側面から果てしなく鮮烈な思い出としてその先の人生を支え続けることがある。 
 ある人間の生すべてを支えうるほどに濃密で鮮烈な時間、これが「カイロス」だ。人間は「カイロス」なしには生きられない。「クロノス」が量だとすれば、いわば質的なものとして「カイロス」がある。

 さて、巷では、長い時間の積み重ねを美徳とする価値観がある。往々にして変容はネガティブとされる。私自身、6人が30年40年と続くことを願っていた。言い換えれば、彼らが「クロノス」としての時間を重ねていくことを望んでいた。

 永遠なんてないんだ。
 3月12日、彼らのまっすぐで誠実でファンをどこまでも真摯にまなざした決意を聞いたとき、私は真っ先にそう思った。永遠なんてない。
 「クロノス」は可視化できる。だから評価基準になりやすい。いわば安心材料なのだと思う。それは「クロノス」を断たれることが一見ネガティブで、時にひどく悲しいものとして捉えられるのと表裏一体だ。

 永遠なんてない。けれど、三宅君が見据えていたのは「クロノス」のその先なのだと思う。
 「いちばん綺麗な形で大切な箱にしまえる」
 三宅君はそう言った。
 もちろん「クロノス」が続いていくのはとても大切で貴重なことだ。そして、彼は誰よりもそれを理解した上で「クロノス」に区切りをつけようとしているんじゃないか。かけがえのない6人の時間を、何よりも純度が高く、何よりも美しい形で「カイロス」に昇華させることを選んだ。それが6人の選択なんじゃないか。

 今日のラヂオで、彼は「サークル」について言及した。1995年に始まったサークルを2021年に完成させること、それを完成させるのが自分たちであること。それはこの上なく鮮やかな言葉として私の中に響いた。
彼らにとってもV6は円環だったんだと、はっとした気持ちだった。
 V6という存在、あるいは彼らが歩いた軌跡はひとつの円環状をなしていて、彼らはこれからそれを描ききろうとしている。

 永遠ってなんだろう。
 三宅君の言葉に背中を押されて出した(現時点での)結論は、「6人が描くその円環そのものが永遠」だ。

 円には始まりもなく終わりもない。彼らが歩き始めた一直線の道はやがて円環へと向かい、11月1日に完成する。その瞬間、26年の起点は始まりにして終わりになり、すなわちそれは永遠だ。円環は大切な箱に仕舞われ、様々な人を生かす「カイロス」になるのだと思う。
 円が閉じる瞬間は、きっと世界でいちばん美しく世界でいちばん寂しいひとときだ。ファンのひとりとしてそれに立ち会えるのだから、自分は幸せ者だ。

 ……という文章をボロ泣きしながら書いて泣き納めし、三宅君の言葉の通りに悲しむのは11月1日以降にとっておこうと思います。理詰めで考えてみたら気がまぎれるかなと思ったけれどダメでした。
 時間は限りがあるからいいと言ってくれるアイドルって本当に強くて素敵ですね。残りの7カ月ほど、全力で彼らを応援したいです。

追記 2022-05-12
見出し画像をつけましょう!とnoteからの通知があったので、先日の写真展「Guys」の写真をつけてみました。彼らが解散という一ステージを経てなお私の人生は続いていくけれど、ふとした瞬間に彼らの曲に支えられている実感を得ることがあって、その感覚が心から好きだなと改めて思います。
V6という6人の形を、外側のかっこいいところから内側のやわらかい部分まで見つめて、ああやっぱり好きだなと心に深く染み渡るように感じています。

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