石川県から戻ってきました【2024年1月】
石川県中能登の方にある親戚の家にお邪魔していたときに地震が起きた。いた場所でもおそらく震度6弱くらいの大きさだろうか。
倒壊こそしなかったものの、家の中のあらゆるものがひっくり返り、気がついたら扉も倒れていた。夕飯で食べるはずだったおせちも全てひっくり返っていた。
いつ家が崩れるかもわからない不安に加えて2011年の津波の映像が頭をよぎる。車を出して親戚一同で避難場所へ移動。その日は車中泊となった。
避難場所へ行く最中には屋根が落ちた家や窓ガラスが全面割れてる家、玄関の扉が外れた家などもあり今回の地震の大きさを物語っていた。
そして断水にいちばん悩まされた。
避難所に来たものの飲料水の用意はなく、断水の影響で飲み水の確保はおろかトイレの水を流すこともできない状態だった。もちろんシャワーや歯磨きもできない。
さらに1月の石川県はかなり寒く、その日は雪こそ降らなかったが最低気温が0℃の世界で深夜から朝にかけて尋常じゃなく冷え込んだ。
避難所の建物の中には入らなかったが、車の中でも暖房をかけないと凍える寒さだったため避難所はさらに寒いことだっただろう。
車中泊に関しても暖房やある程度の安心感はあるものの、足を伸ばすことができず、腰や首を休められずとまともに寝られなかった。ガソリンがいつまで持つかという気苦労もある。
私は1日のみの経験だったが、不安とストレスで心がいっぱいだった。家に住めなくなった地元の方はこの何十倍も負荷がかかっていると想像するだけで狂いそうになる。
一瞬の揺れから途端に終わりの見えない避難所生活が始まる…。今まで実感がなかったがそのことに今回一番の恐怖を感じた。
2日の日は車で金沢まで移動し、3日に石川県を出た。金沢は断水になっていなかったためまだまともに生活することができたが、1月5日の現在でもまだ断水が続いている地域があり心苦しい。停電の地域もあるのだとか。
また、車での移動中にも道路に亀裂が走っている箇所があったりと交通インフラへのダメージも見られた。
まずは停電や断水からの早急な復旧を望む。そのためには道路の復旧が最優先か。
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