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自炊ってどこからが自炊なのか

どうも、せつです。

自炊ってどこからが自炊なのかについて気になりました。

というのも、ひとによって自炊という言葉の持つイメージに大きく違いがあるらしく、親に自炊しているかと聞かれ、米に納豆をかけて食べたと言うと、うーーーんみたいな反応が返ってきます。

これは極端な例だとしても自炊というイメージの差で嫌な思いをしたひとも多くいるだろうということで、段階に分けて線引きポイントを用意してみました。

自炊という言葉の辞書的な意味は「食事を自分で作ること」というもの。

そうなると、作るってどこから?となってしまうので、これではイメージに差が生まれてしまうのも無理はありません。


作業別

これをやったら自炊だよねという工程ありきの判断基準。分けてはみたもののあくまで派閥みたいなものなので個人の感想や育ってきた環境によるとしか言えないです。

洗い物の有無

買ってきた惣菜などを食器に移し、食べ終わったら食器を洗うという工程があれば自炊と呼んでもいい派。箸だけ洗いますというのもここに含まれる。

辞書的な意味の「食事を自分で作る」という意味からは離れすぎている気もするけれど、お皿を洗ったら自炊した気分になれるよね。わかる。

調理道具の有無

包丁などを使うかどうかが自炊ラインというひとたち。

りんごの丸かじりは自炊でないけど切り分けたら自炊。既に切り分けられてる刺し身は自炊じゃないけど魚のかたまりから切り分けるなら自炊。

切るという行為が作る作業っぽいので辞書的な意味もクリアできてる気がしますね。

気になるのは手で食材をちぎるのはありなのか無しなのか。

火を通すかどうか

肉や魚など、既に切り分け済みの食材を焼くだけでも自炊と言える派。包丁を使うのは面倒だけどフライパンくらいなら使うというひとに取っては自炊防衛ラインです。私もなるべく包丁は使わないタイプ。

さつまいもを蒸かすだけ~とかうどんを茹でて卵を乗せるだけ~というのをよくやるのでそれが自炊に入るのであればありがたいですね。

食材の形が変わるかどうか

調理道具の有無や火を使うかどうかにも近い概念かと思いますが、前後で見た目が変われば自炊なのではという意見も。

レンジでただ温めるだけでは自炊にならないけど、レンジで調理ができる時短グッズを活用するならそれは自炊という判定です。

結局は作るという意味からも「分解」「構築」「変化」のどれかがあれば自炊なのかもしれませんね。

ちょっと話は逸れますが、インスタントラーメンやカップラーメンは自炊と呼べるのか論争もありそうですね。お湯を入れて形を変えてますからね。

目的別

工程の有り無しではなく自炊を行うことの目的を達成できるかどうかで判断をするというのもありなのではないか?という考えからわけてみました。

量をコントロールできるか

自炊のよい点は自分の食べたいものを好きな量だけ食べられるというところ。ともすれば、食材や調味料の量をコントロールできるかどうかが自炊かどうかの分かれ目なのではないでしょうか?

基本外食や弁当では中に使われている食材や調味料をコントロールすることってできないですよね。

そうなると野菜に塩をつけて食べるだけでも自炊と呼べるようになるし、肉にコショウをかけて焼くのも自炊です。

しかし、あとは焼くだけの調理済み商品は自炊に入らないのか?とか食材のまま提供される焼肉屋はもはや自炊なのでは?という別の要因がたくさんでてくるので考えるのをやめた…。

節約となっているか

自炊の目的には健康面以外でも食費の節約を意図しているひともいるかと思います。少なくとも人件費を払って飲食店で食べるよりは安くしたいというのはありますね。

なのでそんな目的で考えれば、安く済ませられれば自炊という考えはなくはないかもしれませんね?

ただしそうなると、買ってきたパンを小分けに食べるのも自炊と呼べるようになりそうなのでなかなかストロングな思想かと思います。

さいごに

上にも挙げた、食材や調味料の量をコントロールできるかどうかが自炊のラインなのでは?

そう考えたのがこの記事を書き始めたきっかけだったのですが、記事を書いているうちに自炊の定義についてさらに迷いが生まれました…。

現状では、食材の形が変わるかどうかが個人的に有力説です。

そもそも自炊という言葉でひとくくりにするのがよくないのかもしれません。

家で弁当以外のものを食べたら自炊でよくないですか?だめ?

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