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日々の生活に変化を。

文章を書く時の一行目が一番難しい。

という一文で今日は切り抜ける。何事も初めが一番難しい。あとは思うがままにキーボードを叩くだけ。

今週、別の研究室の博士課程最後の審査である公聴会があった。

朝、九時過ぎに研究室ついてボケーっとルーティンワークをしてたら、教授が居室入ってきた。

「公聴会を聴きに行こ~。参考になるだろうし。」

「あぁ、そういえば今日すねぇ。行きますか。先生のバーターしますわ。」

「バーターって何だ?」

「金魚の糞っす。ついでに付いてくる的な感じの意味ですね」

適当にいなされて会場イン。発表が始まる。終わる。なげぇ。なげぇよ。

発表だけで50分近く。質疑応答から退場した。スライドは100枚いかないぐらい。

あぁ。俺は2年後これをしているのか。マジであぁーって感じ。無心無心。だがしかし、感覚としてなんとなくだが俺ならできそうな気がする。悪くない。

その後は、居室で研究費の申請書を書いたり、実験したり、後輩の卒論の発表練習聞いたりしてボケーとして時が経った。居室を後にする。

筋トレに行く。あぁ、いつも通りの毎日だなぁ。そんなことを考えながら、車を走らせる。

ふと目に付くパチンコ。これだ!!と思い、入店を決意。

とりあえずジムにイン。スクワットとデットリフトをして下半身をしばく。ジムアウト。パチンコイン。

店内を漂う、一攫千金を目指した者たちの不穏な空気。一心不乱にスロットのボタンを叩く老人。明らかに素行が悪そうな若者。これだよ。これ。ギャンブルはそうでなくてはならない。

台についてよくわからないから、ジャグラーでもしようかと席に着く。

1000円ぶち込む。秒でなくなる。そんなもんだ。

「車の運転はどのぐらい連続でできると思う?」

俺は昔、兄貴に質問した。

「どうやろうな。12時間とかかね。」

そう答える兄貴に、

「答えは事故するまでだな」

と言ったことを不意に思い出す。ギャンブルも同じ。

諦めなければ、必ず勝てる。両脇に座る同志が金の追加を後押しする。

1000円追加。秒でなくなる。

諦めなければ、必ず勝てる。

1000円追加。秒でなくなる。

心が揺らぐ。失った3000円。

「コインを四回連続で投げて、四回連続で表が出た。次、裏が出る確率は」

確率を考える上でよくある間違え。答えは1/2。

俺が次、追加融資して勝てる確率は初めと変わらない。我に返る。

店内から退場。その足でスーパーにピットイン。失われた3000円があれば、豪華な晩御飯が食べれたのに、と罪悪感が襲う。

いや、違う。この罪悪感を買うために3000円払ったのだ。あの一心不乱にスロットのボタンを叩く老人や明らかに素行が悪そうな若者のようになるなと自分に戒めるため払った3000円。物の値段を再認識ために払った3000円。日々の生活に変化を付けるために払った3000円。

そんな意味の分からない言い訳を自分に言い聞かせながら、俺は晩飯の食材を購入して、スーパーを後にした。

また行こうと思う。次は必ず勝てると思う。


貧乏学生の食費に費やします。