城桧吏という人の「軽さ」

 映画『都会のトム&ソーヤ』を観た。城桧吏くん(以下、桧吏くんと呼びます)の13歳の誕生日に制作が発表されたその映画を、私は2年も待った末に見逃し(肝心なとき私はいつもいない)、この前ようやくスクリーン越しに観る機会を得て、ついに映画初主演の桧吏くんとの対面を果たした。

 原作を詳しく知らないこともあり、ストーリーについては正直よくわからなかった。わかるのは桧吏くん演じる内藤内人という人物が冒険の主人公であるということくらいだったが、そのことさえ、観ているうちにしだいにわからなくなってしまった。何がわからないって、桧吏くんが冒険してるっていうことが、私にはわからなかった。わからないというか、すでにわかってしまっているというべきか。結末が、わかってしまっているのではない。冒険の行方がどうなるかなんて私にはちっとも見当がつかなかったけれど、観ているあいだ私はずっと安心だった。不思議だな。それとも私、寝ていたんだろうか。

 冒険に危険は付き物なので、主人公の内人にも次から次にピンチが訪れる。ピンチに見舞われるたび内人は必死の様相だけど、観ている私はなぜかいつも安心だった。ピンチが全然ピンチだと感じられないからだ。私がストーリーについていけていないからではない。桧吏くんの演技のせいでもない。ストーリーがどんなに主人公をピンチに追いやっても、私にはどういうわけかピンチが全然迫ってこないのだ。

 危険が迫り来ることを切迫感と呼ぶなら、桧吏くんが持つ「切迫感のなさ」はあまりに圧倒的で、どんな危険も近づくことはあっても、それは決してピンチにはならない。ピンチとは無縁の人。それは好きな人のオーラだと言ってしまえばそれまでだけど、ピンチを寄せつけない桧吏くんは、私にとって冒険から最も遠いところにいる。映画はふつうストーリーを忠実に映し出そうとし、役者もそれをめざしているはずなのに、内人がピンチに陥れば陥るほど、私は安心感で満たされた。でもこれは役者(桧吏くん)の側の問題ではなく、観客(私)の側の問題で、私の側が抱えるおそらくかなり幸福な問題です。

 フランス文学者の松浦寿輝は、エッフェル塔について、「エッフェル塔のあの軽さ、占めている容積から考えるとまるで信じがたいほどの、この「鉄のレース編み」の軽さ」と書いている(『エッフェル塔試論』、ちくま書房、1999年)が、桧吏くんにも、彼だけが持つ独特な「軽さ」があるように私は思う。桧吏くんがスクリーンに映し出されるとき、桧吏くんはそこに映る他のどんな物よりも「軽い」。スクリーンに占めている面積から考えるとまるで信じがたいほどの、この城桧吏という人の「軽さ」!

 桧吏くんが持つこの独特な「軽さ」は、ストーリーのどんなピンチもするりとかわしてしまうか、ピンチなんてはじめからなかったかのように通り過ぎていってしまう。桧吏くんには、ピンチをピンチとして引き受けて立ち向かう頼もしさではなく、ピンチをピンチでないかのように感じさせてくれる頼もしさがある。内人が「早く逃げよう!」と呼びかけるときも、「どうすれば…」と悩むときも、「どうゆうことだよ!」と詰め寄るときも、「いい加減にしろよ!」と怒るときも、そのシリアスなシチュエーションとは裏腹に、スクリーンは内人の「軽さ」で占められ、私の心は安心感で満たされる。「僕には夢なんてないからさ」と言って内人が俯くシーンでも、深刻さはちっともない。夢を持つことだけが素晴らしいのではなく、夢がなくても心配しなくていいんだと思わせてくれる。

 桧吏くんのこの「軽さ」はどこからくるのだろうか。スクリーンをただならぬ「軽さ」で占める内人のうちでさらに最も軽かったものは何か。それは、内人のパーカーだ。正確にはパーカーというより、すべてがジャストサイズの衣装というべきか。というより、ぴったりの服を着てかわいくすましている内人を見て、私は『万引き家族』のときの祥太がとにかくいつもサイズの合っていない服を着ていたことを思い出していたのだ。

 髪は長く、だぼだぼのズボンとパーカーを着て、異様に大きなリュックを背負っていた少年には、内人とは異なる「重さ」があった。だぼだぼのパーカーは、その服の重さがそのまま桧吏くんが持つ「軽さ」への重しとなっていた。しだいに成長し、祥太の心にも良心が芽生えはじめると、祥太は自分の身体に合った服を着たいと願うようになる。自分が着ている服の大きさが合っていないことの違和感は、万引きへの違和感につながっていく。『万引き家族』は、祥太が自分の身体に合った服を手に入れることで、自分らしさ(軽さ)を取り戻していく物語だったようにも思う。それは最後に髪を切った祥太がきれいな身なりで登場するところで結末を迎えるが、身軽になった祥太は、手に入れたその「軽さ」と引き換えに治のもとを離れることになる。

 祥太はよくポケットに手を入れて歩いていたけれど、内人の両手はいつも空いていた。祥太はヘアバンドで前髪を上げないと"仕事"ができなかったが、内人はきれいに揃った前髪をさらさらと揺らしながら"ピンチ"をかわす。どちらも私の大好きな桧吏くんだ。

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