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福祉規定

申命記10:12-22 
 
モーセが主より受けた契約の板は、いまや契約の箱に納められ、民は祝福されました。「行きなさい」と命じた主が共にいます。旅は、まだ始まったばかりです。「今」主があなたに求めていることは何か。この問いからこの聖書箇所は始まります。「今」とはいつでしょうか。21世紀でもあるでしょう。そう読まざるを得ません。
 
「私」というのは、ここではモーセのことですが、その「私」が「今日」あなたに主の戒めと掟を命じるのだといいます。そうしてあなたは「幸せ」になるのです。この書を手にし、耳で聞く、その民を主は確かに愛しています。「今日」あるように選ばれたのです。21世紀にあなたがいるのならば、そのあなたは主が愛して選んだ、というのです。
 
ここで「割礼」とは、本来の肉体へのものから抽象されて、心の包皮に施すのだと言っていますが、まるでパウロのように、外見の割礼でなく、心の一新を期待しているように聞こえます。心が罪に覆われ、頑なになったのは、エジプト王の頑なさを見ると、どういうことを言っているのかか分かります。私たちもその王と同じようにしていないでしょうか。
 
頑なになってはならぬということは、私たちの行動が問われている、ということです。続いてモーセは、実際的な行動の指針を与えます。長旅です。60万人を超える人間の移動は、高度な社会機構を必要とするでしょう。政治的手腕が指導者に問われることになります。ここに挙げられているのは、そのときの福祉規定だと考えてよいと思われます。
 
孤児と寡婦の権利を守り、外国人をも保護するべきだ、エジプトにおいて自らそういう立場であったわけで、そのことは、出エジプトを重視する旧約聖書執筆者のひとつの派において、とくに強調されます。十戒もそうですが、主にひたすら寄る辺を見出し、聞き従うことを、モーセは命じます。アブラハムはひとまず措いておくことにしましょう。

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