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主は苦しめ、そして導く

申命記8:1-10 
 
主は「あなたを苦しめ、試み」たそうです。それから、主は「あなたを苦しめ、飢えさせ」たといいます。なにげない一言を見逃さないようにしましょう。これがあるからこそ、「人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きる」という命題が告げられ、私たちの目の前に突き出されたのです。
 
イエスが荒野で悪魔により攻撃されたとき、この言葉を以て退かせたというとき、主が「あなたを苦しめ」た、ということを踏まえていることを覚えておきたいものです。それは、確かに人の不平の呟きによりもたらされた仕打ちであったかもしれません。けれどもよく見れば、すべて神がイニシアチブをとってそのようになっていることが分かります。
 
「主の口から出るすべての言葉」が導いています。これに対して、「ああエジプトがよかった」などと、民が本来の性を表に出して応えたのです。ところが主は、服も足も守り、マナを与えました。人々を生かし、数を増やし、約束の地に入り、所有するに至らせました。「あなたを苦しめ」たことは「訓練」であったのだ、と申命記は言っています。
 
私たちからすれば、決して望ましいものではありません。苦しめられることは、御免被りたいものです。しかし、訓練だという事なら、そこに意味はあります。この主の声を聞いたのです。ならば、それを守るべき戒めとして、歩むべき道として受け止めることも可能であるし、喜びとなることができるでしょう。
 
「良い地」が待っています。「何一つ欠けることのない地」です。豊かな食べ物が産物として与えられることが挙げられていますが、ここで、酸化鉄と黄銅鉱の存在に言及されているのは、面白いと思います。聖書の中では、金属については余り注目されることがありません。しかし、例えば鉄器を操る文明は、歴史を変えることになりました。
 
ペリシテ人は鉄の技術がありましたが、イスラエルにはありませんでした。これでイスラエルはペリシテに勝てませんでした。金属は文明論に関係しています。権力が他国に及ぶとき、そこには武力がものを言います。金属が武力です。但し、人がただ生きるとなると、食べ物が第一です。「良い地」には、食べ物の祝福が満ちています。

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