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お騒がせしました

先日、買う物を間違えた。家族に頼まれたものをドラッグストアで探したのだが、方式の異なる詰め替えものを買ってしまったのだ。容器はそっくりなのだが、ちゃんと見れば、区別はできるように書いてある。たまたま見落としたのだ。
 
困ったねえ、と言いながら、家族は、仕方ないからそれを使うか、とあまり気にした様子は見せなかった。いや、それは大問題だ。私は翌日、ドラッグストアに電話することにした。レシートがあれば、たいてい問題なく換えてもらえるらしい。
 
と、夜中に財布を探したら、レシートがない。私は習慣として、レシートをもらわないことはないようにしている。必ず財布の決まった場所に入れているはずだ。だが、何度見ても、ない。心当たりのあるところをあちこち探したが、そもそも財布から出してなどいないのだ。
 
狙い澄ましたように、肝腎のその一枚だけが、見当たらないのであった。これで翌朝、電話をおそるおそるかけざるをえなくなった。レシートがないことを告げると、向こうは冷たくあしらうかもしれない。その心配が、ずっと心にあった。
 
さて、翌日電話をかけた。事情を聞くと、ある程度は信頼してもらえたようだった。バーコードと、いつごろ買ったのかを尋ねられた。調べてみるので折り返し電話をかけるという。本の何分か後に、かかってきた。どうやら確認できたようだ。返品に応じてくれるという。
 
ああ、よかった。
 
確かに、レシートなしだと、購入確認が難しい場合がある。また、コロナ禍において、一度持ち帰ったものは交換に応じない店もあると聞く。しかし問題なく返金してもらえた。今度は間違えないように、欲しかった方式のものをそのお金で購入して帰った。
 
私は特別に、悪いことをした訳ではない。だが、もちろん店のほうは、それ以上に悪いことはしていない。だから、この場合は私のほうが相対的に、悪い。それを、店のほうが手間をかけて、信頼する方向で、顧客にとり最も良い道を与えてくれた。
 
確かに、それが店の信用も増す方法ではあっただろう。これで厳しい態度をとると、もうその客は来てくれないかもしれない。事実、店の側に原因があり問題があったのに、客の私の方が悪いような扱いを受けた珈琲店には、それから私は二度と行っていない。この薬局の場合、もしかするとマニュアルでそうなっているのかもしれないが、それでもこちらは助かるわけで、またその店に行こうという気にもなる。
 
否、そういうことではない。私は、純粋に思った。「ゆるされた」と。
 
客の要求をきくのが当たり前だ、という風潮が昨今あるようによく言われる。クレーマーとでも言うのか、わがままな客が店を困らせるケースが多いそうだ。私も、不条理なクレームをつけた経験があるから、その気持ちも分かる。だが今回は、ただただ申し訳ないような気持ちでもあったし、とにかく理屈抜きで私は感じた。「ゆるされた」のだと。
 
年齢を重ねると、ミスも多くなる。30代のときにもそれを少し感じたが、ここへきて頻度が増してきた。まだ自分で気づかぬミスを多々やらかして、いろいろな人に迷惑をかけているのではないかと懸念する。多分それは本当にそうなのだろう。人間は、いつでもどこでも、「ゆるされる」ままに生かされている。当たり前のことのようだが、日常それを忘れているのではないか。もっと原点から見える景色というものがあるはずなのに、尊大になっていたのではないか。
 
そういう自戒があってなお、言うべきことは言うというのだから、馬鹿につける薬は本当にないのかもしれないけれども。

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