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見せかけの祝福でも

申命記28:1-14 
 
「この律法の言葉を守り行わない者は呪われる」とモーセがイスラエルのすべての民に告げ、「民は皆「アーメン」と言いなさい」と言っていました。「アーメン」と言った、というよりは、「言いなさい」でした。この直後、モーセが長々と語り始めたのが、この祝福です。もしあなたが主の声に聞き従い、戒めを守り行うならば、との条件つきですが。
 
しかしそうするならば、どんなに大きな祝福が与えられるか、が並べられてゆきます。すべての祝福が臨むのだそうです。どこにいても祝福され、持ち物まで祝福されるというのに驚きます。入るときも出るときも祝福されますし、そればかりか、凡ゆる敵を打ち負かすことができます。敵は逃げ惑い、散り散りに去ってゆくというのです。
 
あなたは土地を与えられ、そこで豊かに暮らすでしょう。あなたは「聖なる民」として立てられ、そう呼ばれることによって、地上のすべての民が、あなたを恐れることになるでしょう。子孫を、家畜を、土地の実りを豊かにするのは、主です。天は季節に応じて雨をもたらし、あなたは手の業全てが祝福されることになるのだと言います。
 
他国民にも貸すほどの豊かさを満喫し、凡ゆる関係の中で、他よりも上に立つのだそうです。こういうわけですから、「今日私が命じるすべての言葉から右にも左にもそれてはならず、他の神々に従って、これに仕えてはならない」ということになります。結構なことです。ありがたい祝福です。しかし、この後直ちに、呪いが告げられます。
 
主の声に聞き従わない場合、この祝福の三倍は長い呪いが蕩々と述べられます。呪いたくて言ったのではありません。イスラエルが結局、この後これらの道を歩んでしまうからです。この祝福は、ある意味で幻でした。架空となりました。でも、だから空しいとは言えません。神はイエス・キリストの救いを通して、これを真実とし引っくり返したのです。

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