慰めよ (イザヤ40:1-2, ペトロ一1:18-19)
◆復活の後
復活祭を先週お祝いしました。悲惨な殺され方をしたイエスが、死の力を打ち破って、蘇られた。それが、罪に死んだ者を生かす福音へと変わっていくことになります。そのとき、復活は起こったのかどうか、という点に拘泥することは止めました。復活はすでにあるが、問題はあなたが復活をどう「見る」か、そこにあることをお伝えしました。
復活後、弟子たちは変わりました。いえ、待ってください。大きく変わったのは、いわゆるペンテコステの祭りのときです。約束されていた聖霊、神の力が降りてきて、弟子たちがそれを受けたときに、信ずる者たちの生き方が一変したのでした。それは、イエスの復活後、七週間が経った日のことでした。
2か月近くの間、イエスを慕う者たちは、何をしていたのでしょうか。少なくとも40日の間は、復活のイエスと会うことができました。任意に会えたのではないでしょうが、イエスの弟子たちの間には、あちこちで、イエスに会った、という出来事が起こっていたようです。しかし40日経つと、イエスの姿は弟子たちに見送られるかのようにして、天に消えて行きました。まるでお伽噺のようですが、聖書の記述をそのまま追っておきたいと思います。
あっけにとられて天を、たぶん口を開けたままぽかんと眺めていたであろう弟子たちに対して、二人の天使が、イエスがまた来るということを知らせます。弟子たちは、ユダの抜けた使徒を補うべく、一人マティアという人物を選び、12人という数を揃えました。12という数は、イスラエルにとり意味のある数字なのです。
◆七週間の沈黙
ペンテコステの出来事の前の記事としては、聖書には、これくらいのことしか書かれていません。これで礼拝説教を七週間もたせることは無理です。
復活したイエスは、弟子たちが当初望んでいたように、この世に神の国を建てるという様子はありませんでした。果たして弟子たちは、どういう気持ちだったでしょう。復活のイエスについては心強く思ったことでしょうが、まだイエスの復活の目的のようなものを理解していたようには思えません。元漁師だったペトロなどの主軸は、漁師に戻ったというわけではないのかもしれません。聖霊が降ったとき、彼らはガリラヤではなく、エルサレムにいたのですから。
今日ほど、情報が早く伝わるわけではありません。復活のイエスとは、ガリラヤで会えるとか、エルサレム近郊で見たとか、さまざまな情報が飛び交いました。すでにパウロが手紙に書いていたのは、次のような数字です。
最も大切なこととして私があなたがたに伝えたのは、私も受けたものです。すなわち、キリストが、聖書に書いてあるとおり私たちの罪のために死んだこと、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと、ケファに現れ、それから十二人に現れたことです。その後、五百人以上のきょうだいたちに同時に現れました。そのうちの何人かはすでに眠りに就きましたが、大部分は今でも生きています。次いで、キリストはヤコブに現れ、それからすべての使徒に現れ、そして最後に、月足らずで生まれたような私にまで現れました。(コリント一15:3-8)
パウロの手紙は、福音書よりも20年から40年ほど早く書かれているらしいと推定されています。キリストの十字架をパウロが見ていたのか、それは不明ですが、パウロは復活のキリストと衝撃的な出会いを果たしています。ペトロたちのグループとも交わりがあり、イエスの生涯についての情報も得ていたことでしょう。むしろ福音書よりも、ホットな話題に触れていたとも考えられ、信憑性のある記事が随所に見られます。
そのパウロは、イエスの十二弟子とは異なり、期待された神の国の建設などという理想にそれまで関わっていなかったので、むしろきっぱりと、イエスの十字架と復活の福音からスタートすることができた、とも考えられます。
◆宗教で傷ついた人に
しかし、この七週間は、まだパウロはイエス・キリストの仲間に関わっていません。どこかイエスが旅の中で教えていたことから自分たちが受け止めていた知識が、もやもやと胸の中に漂っていたのではないか、と推測します。これがクリアになったのが、聖霊が降ったペンテコステだった、という筋書きがあると思われるからです。
私たちはどうでしょう。私たちの胸のもやもやは、七週間以上ずっと続いてはいないでしょうか。洗礼を受けて、喜びのクリスチャン生活に入ったのはいつの日か、さして優れた信徒に成長したわけではない自分を見て、また元の漁師生活に戻ろうとさえしたかもしれないペトロたちのように、かつての空しいものにまた関わるようになった、ということはないでしょうか。
キリストを信じたと告白はしても、どこかで躓いて倒れた人がいるかもしれません。教会を離れた人々もいます。
先週お話ししました。「宗教2世」の人々の中には、信仰を与えられたことが当たり前すぎて、それに浸ることも、それから離れることもできない気持ちを抱えている場合があるのではないか、と。それは自ら「正統的」を名のるキリスト教のグループの中での事態です。虐待や犯罪という形で裁けないからこそ、親はそれが正しいと子を縛り、子は親に気兼ねしながらスッキリしない、そんな気まずい間合いがある場合をも、先週は考えました。
どうかすると、キリスト教がいわゆる「カルト宗教」を見下すことがあります。けれども、そんなことはできないのではないか、とも私は思います。むしろ見下すことによって、自分のほうが愚かな態度をとっていることになるかもしれない、と懸念します。イエスは、正にそのようなファリサイ派の人々を強烈に非難したのでした。
2世問題のすべてがそうだと申すつもりはありませんが、どうかすると、深刻な心の傷が遺ります。心に刻まれた傷は、そう簡単には癒やされません。今後そうしたことが起こらないように努めることは、社会にとり大切なことですが、現に起こってしまったことについては、簡単になかったことにはできません。
もちろん、ご本人が自分の意志でのめりこんでいったというと、また少し事情が変わります。それでも、洗脳されてという場合がありますから、とにかく事の扱いは慎重にならざるをえません。まして、いわゆる「2世」ともなると、生まれ落ちてそうした環境の中で生き方を覚えていくようになるのですから、なんとか癒やされるようになればと祈らざるをえません。いえ、癒やすことはできないかもしれません。せめて、慰めることができたら、と思ってはいけないでしょうか。
◆慰めること
体もですが、心が傷ついた人を慰めるのは、難しいことです。小さな子であれば、どうにか慰めることができることもあるでしょう。子どもは表向き、気持ちを切り替えることができる場合があります。それでも、心の奥にトラウマとして残るものもありますから、臨床の場でもずいぶんと用心の上で、語りかけるようになされています。
慰める。今日はこの言葉に立ち止まって見ます。完全に癒やしてしまうとは言えないかもしれませんし、当人も十分満足するというわけではないとも思います。しかし、事態をどうにも解決できなくても、そして改善すらできなかったとしても、慰めることにより、なんとか立ち上がることができるかもしれません。前進できるかもしれません。
それは、励ますというのとは、また違います。落ち込んだ人に、むやみに励ますのはよくない、というのが昨今のアドバイスです。そして慰められるというのは、どういうときなのか思いを馳せますと、やはりそれは、自分が悲しいとき、辛いときであろう、と思いました。失敗したとき、思うようにならないときも慰められたいと思います。ただ、やはり「慰められた」と思うのは、悲しみの中にゆっくりと浸ってから後のことではないか、という気もします。突発的な事故があったら、それを受け容れるまでにしばらく時間がかかりそうだからです。突然不幸が襲ってきたときには、すぐに慰められるものではないような気がしてなりません。
私たちは狡い気持ちも混じっています。慰められることを期待して、悲しんでいることもあります。子どもも、それを本能的にやっていることがあるかもしれません。大人は計算してやることもありますね。それを意識して嫌だと思う人が他方いて、悲しみをこらえて耐えていると、精神的によろしくないのだそうです。こうした心理は、心理学的にもいろいろ確かめられていますが、個人差が大きいのと、文化的・民族的な特性もあるとのことで、なかなか簡単に効果的な対策が取られるものではないようです。
聖書の中ではどうでしょう。調べると、全部で百弱の節に「慰め」あるいは「慰める」という言葉がありました。神は、「勇敢であれ」と励ますこともありますが、概して、神は私たちを慰めています。
理不尽にも不遇な目に遭わされ、それでも神に呼びかけることはやめなかった人がいた、と旧約聖書は描いています。そう、ヨブという人物です。果たして実在したのかどうか、分かりません。どうやらユダヤ人ではなさそうです。次々とありえないような不幸に見舞われるヨブでしたが、度々慰められています。但しそれは、三人の友だちに、です。盛んに人間的な慰めについて触れますが、それでは十分な慰めを得ることはありませんでした。最後に、神により元の境遇に戻されたとき、ようやく友人関係を回復したときに、その知人たちがヨブを慰めた、という描写があるくらいでした。
◆神は慰める方
神が慰めることについては、大預言書たるエレミヤ書やエゼキエル書にも少し見られますが、なんといってもイザヤ書にその事例が多く登場します。しかも、最初のイザヤ書が成立していたと思しき39章までにはわずかな使用例しかありませんが、40章以降には十節以上、「慰め」の語が現れています。
1:「慰めよ、慰めよ、私の民を」/と、あなたがたの神は言われる。
2:「エルサレムに優しく語りかけ/これに呼びかけよ。/その苦役の時は満ち/その過ちは償われた。/そのすべての罪に倍するものを/主の手から受けた」と。
これが、イザヤ書40章の初めです。学者たちは、ここから「第二イザヤ」とその筆者を呼んでいます。口調が変わるのです。内容が変わるというのです。捕囚の憂き目に遭うイスラエル民族のことを描いてきたその直前までと異なり、ここから、捕囚から解放された民族の歴史を知る者の手により、その解放を希望として明るく描くようになってゆく、というのです。
ここにはまず、「慰めよ、慰めよ、私の民を」という言葉が掲げられています。そして、これ以降イザヤ書の最後までを象徴するような言葉となっていると考えられています。この「慰めよ」という語は、深い息を表していると説明する方がいます。すると、神が深くまでその思いを吸い込み、腹の底から息を返すようなイメージをもたせているようにも見受けられます。
その語は、実に創世記では、あの箱舟の「ノア」の名の由来にもなっていました(創世記5:29)。人間的には、ルツがボアズに優しくされて「慰め」(ルツ2:13)られたと言ったときにも、この語が使われていました。ゼカリヤ書で、主が再びシオン、つまりイスラエルを「慰め」(ゼカリヤ1:17)ると宣言したときに使われていたのも、この語です。
これらの箇所から、私はどうしても、神の赦しというものが漂ってくるように感じます。私たちでさえ、人をさあ許そうとするときには、深呼吸をしないでしょうか。神が深く息を吸い、そこから息を吐き出すとき、それは神の赦しというものではないかと、つい想像してしまうのです。
イザヤ書は「慰めよ」と呼びかけます。傷つき、己れの罪に打ちひしがれる私を、慰めて下さいました。その同じ神を仰ぐあなたにも、この慰めは及びます。神は確かに、あなたを慰めてくださるのです。
◆主イエスによる慰め
イザヤ書40章以降は、もちろん、ただ明るいだけではありません。やがて、いわゆる「苦難の僕」を描くという、新約聖書の立場から見て非常に重要な箇所が待っています。イエス・キリストの受けた苦しみの意味が、旧約聖書にしっかりと描かれていると理解されるからです。
そのイエスが、山上の説教で人々にまず言った「幸い」の教えの中に、「慰められる」というものがありました。
悲しむ人々は、幸いである/その人たちは慰められる。。(マタイ5:4)
今月、NHKのEテレの「100分de名著」は、「新約聖書 福音書」を取り上げています。番組ではこれまでも何度か解説してくれました、カトリックの若松英輔さんが講師として、少しばかり大胆な文学的想像も交えながら、語っています。聖書は信徒だけのものではない、誰でも触れて、そこで主イエスに出会ってほしい。そんな願いをはっきりと打ち出して、なかなかよい説教のような語りを見せています。
その中で、この「悲しむ者」についての件がありました。若松さん自身、家族を喪い、悲しみというものを深く思う日々をいまなお生きていると思われ、悲しみを中心とした著作もあります。この講座においても、やはり随所に「悲しみ」というものがキーワードになっているように感じられます。
第一回の放送で、正にその「悲しみ」が、そしてこのマタイの福音書の言葉がメインとなっていました。この「悲しみ」について、若松さんは、ただ悲嘆にくれることではなく、「何かを深く愛したことの発見」だと思うと語っています。愛するが故に、別れが悲しい。だがその悲しみは、確かに誰かを愛したことの証しであるということなのでしょう。
残念ながら、テキストでは、この報いとしての「慰め」については、語られませんでした。それでは私が、僭越ながら、その「慰め」に光を当てさせて戴きましょう。
復活祭を祝いました。復活の前には、十字架がありました。十字架につけられるということで、その手には打ち込まれた釘の痕がありました。トマスがその釘の痕を見ることにこだわった話も、先週お話ししました。私たちは、イエスによって慰めを受けることを期待しています。慰めとは、よしよしと撫でられることかもしれません。私たちをよしよしと撫でる、イエスのその手は、釘打たれた手です。血染めの手です。
血の滴る手で撫でられたら、あなたのせっかくの白い服が汚れます。しかし、あなたは実のところ、それどころではないような、汚れ方をしていたのではないでしょうか。神に背き、罪にまみれたところから、このイエスにより神の支配の中に引き入れられたのではなかったでしょうか。ですからむしろ、主の血によって、かつての汚い服が洗われ、キリストを着るように成ったのです。変貌山で白く輝いたという、あのイエスの白い服を、あなたは着せられたのです。その服は、血で洗って、白く輝くようになったのです。
◆慰めの共同体
血の付いた者が救われる。それは、旧約聖書にもありました。しかも、イスラエル民族が自らのアイデンティティのための根本的な出来事として常に掲げる、あの出エジプトの出来事の中心的な事柄が、それでした。出エジプト記の12章に、次のように書かれています。
イスラエルの全会衆に告げなさい。『この月の十日に、父祖の家ごとに、すなわち家族ごとにそれぞれ自分たちのために小羊一匹を用意しなさい。(3)……あなたはそれを、この月の十四日まで取り分けておき、夕暮れにイスラエルの会衆は皆集まってそれを屠る。そして、その血を取って、小羊を食べる家の入り口の二本の柱と鴨居に塗る。(6-7)……その夜、私はエジプトの地を行き巡り、人から家畜に至るまで、エジプトの地のすべての初子を打ち、また、エジプトのすべての神々に裁きを行う。私は主である。あなたがたがいる家の血は、あなたがたのしるしとなる。私はその血を見て、あなたがたのいる所を過ぎ越す。こうして、エジプトの地を私が打つとき、滅ぼす者の災いはあなたがたには及ばない。』(12-13)
イスラエルの民は、いつの間にか奴隷状態となっていたエジプトの地で、モーセという指導者に主なる神が声をかけたことで、ついにそこを脱出する時を得ました。神はエジプトに様々な災いを与え、イスラエルの民が出て行く準備をします。そしてついに、エジプト中の子どもたちに不幸をもたらすことで、出て行くことをなかなか許さなかった王の心を変えようとするのです。それもまた酷い話であるかもしれませんが、神はその災いを、門に血が塗られている家にはもたらさない、つまり災いを過ぎ越していくのだ、とするのでした。
イスラエルの祭儀で、無数の動物たちの生け贄が献げられ、血が流される歴史がこうして始まります。その血は、神の怒りを過ぎ越すとされたのでした。私たちはそれを残酷に感じるかもしれません。が、結局私たちは動物を殺して食していますので、祭儀抜きで殺していることになります。特に、動物に疫病が出たときに、簡単に「殺処分」と呼んで殺して埋めるとなると、食べもしないわけですから、いったいどちらが残酷なのだか知れません。
話を元に戻しましょう。要点は、血が、災いをもたらさない、ということでした。苦難は避けられないでしょう。しかし、本当の災いは、あなたを通り過ぎていくのです。あなたに、血の印がある限りは。
知ってのとおり、あなたがたが先祖伝来の空しい生活から贖われたのは、銀や金のような朽ち果てるものによらず、傷も染みもない小羊のようなキリストの尊い血によるのです。(ペトロ一1:18-19)
イエスが流した血、そこに留まりましょう。この血により、私たちは神の怒りを受けることがなくなるのです。そして、苦難に見舞われようとも、神により慰めを受ける道が備えられていることになります。そのような者たちが、共に集う共同体、それが教会です。
いかにもにこにこした顔の人に、ただついていってはなりません。その人が血の印を受けているかどうか、気をつけましょう。命の言葉が語られている教会では、キリストの血を注がれた話が満ちていることでしょう。命ある祈りがそこにあるでしょう。救われた者たちが互いに相手を生かすことでしょう。教会は、慰めの共同体となるのです。
人の知恵がいくら持ち出されても、そこに真の命はありません。神からの言葉があるかどうかです。それがあれば、ひとの魂への心配りが、きっとあるでしょう。教会には、組織としての運営の務めがあるとは思いますし、それを無視することはできません。しかし、そこにしか関心がないようなところは、教会の本分を見失います。結局、神からのものが必要なのです。神からの言葉を、私たちは求めています。今日は、イエスの血に、それを見出しました。そして、神はその血を以て、私たちに上よりの慰めを、存分に与えてくださるということを確認しました。
神は、いままさに、私たちを慰めてくださいます。私たちを、そして、あなたを。
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